息子が、新しくなったのでと送って来てくれました✋。

今年は市制100周年ということで、それに絡んだものが多いですが、今回もそれに関連して歴史を振り返っているようです。

← ん? 昨日の回顧録といい、今は昔を振り返りたくなるような時期なんでしょうか(笑)

誰が付けたのかこの四文字熟語、結構マッチしています(笑)

 

改めてこうしてみると、結構、ビックリですね。川崎市の歴史の3/4にフロンターレがいるって・・・・野球はどれくらいいたのでしょうか?

← 調べてみたら1955年から1978年なので23年ですね

 

雲外蒼天が指す、試練の先はJ1昇格ということなのでしょうかね。

正直、この頃はあまり縁がなかったですね。

義弟くんが、フロンターレのJ参入と同時にフリューゲルスからフロンターレに鞍替えしたので、色々聞いてはいましたが・・・ちょうど1997年から2002年までは海外駐在していて、帰任してからももっぱらサッカーは代表ばっかり見ていましたね。2003年勝ち点1差で昇格出来ず、2004年優勝J1昇格・・・・この辺くらいから少しフロンターレを見出しました。

でも、この時みたフロンターレのサッカー~ジュニの速さと斜め45度からのガナのシュート~に衝撃を覚えたのは今でも鮮明に覚えています。

 

疾風怒濤、本当に昇格するのにあれだけ苦労したチームとは思えないほど、あっという間に強豪チームの仲間入りをしましたね。最初の頃はまたすぐにJ2に戻るんじゃないかと不安もあったんですが(笑)

 

ここからは、もうゲームのある週末は毎回等々力に通い、後援会も最初は私だけ、翌年はファミリーで家族全員と家中がフロンターレに染まっていきましたね。この頃はシルバーコレクターの本領発揮でナビスコ(当時)決勝敗退、リーグ2位と、関さんの時代に何とか一つはタイトルを獲りたかったのですが・・・・

← 何年か前のDVDで関さんが「ナビスコに拘り過ぎたのかもしれない」とコメントされていましたが、我々サポーターもやはりナビスコには拘りがありましたね・・・・

 

これは、虎視眈々というよりも『臥薪嘗胆』の方が似合うのでは?

 

出だしの相馬監督は目指すサッカーは間違っていないはずなのに勝てず、翌年もう一度トライするもわずか数試合で監督交代、どうなるのかとJ2落も覚悟したのですが、この時プロでの監督経験のない風間さんが監督就任、初戦でイナがセンターバックやるなど度肝を抜かれることばかりでしたが、この時に今のフロンターレの基礎が出来たんですよね、矢印、トメルケル等々。特に16年の天皇杯は忘れられません。準決勝の日産スタジアムで大宮に勝って元旦は吹田に行くぞって、スタジアムを歩いている時に、大宮サポーターが横で呟いた「これで帰ったら家長選手の移籍のお知らせが来るんだよ・・・切ないなぁ」という言葉が忘れられません。リーグが終わった後も続く天皇杯、まければそれまでで、そこで一気に移籍情報が解放されるといのも当時の風物詩でした。そして意気揚々と乗り込んだ吹田(17年1月1日)でも風間さんやヨシトとタイトルを分かち合うことは出来ませんでした。

 

(← 息子も疲れて、アングルが段々いい加減になっている)

一騎当千、言い得て妙ですね。ホント、優勝できなかった19年を含めて、この頃の選手は全員代表クラスの実力でしたし、今の代表にも多くが名を連ねています。

22年が今から思えば一つの節目になりましたね、あの時3連覇出来なかったことをどう評価するか?継続か変革か・・・選択したのは継続、そして臨んだ23年・・・

 

いやいやここは、七転び八起きではなく七転八倒でしょう。絶対に。

苦しかった・・・フロンターレのことなど見てない外野にも随分好きかって言われましたね。

でも、そのお陰で今季はワクワクです。

 

そして最後に

 

いや、本当に、良い時も悪い時もこれからもずっと一緒に。

 

という訳で、一週間空くと流石にゲームが恋しくなります。

あと2日、特にあんな負け方をしたのを吹っ飛ばしてくれるようなホームでの初勝利を期待しています。

でも、まだ今日木曜日なので、まだ、もう一日あるんですね・・・・ホント、負けた時は長いな。

 

 

では、また。