等々力のGゾーンでみんなが万歳した両手を左右に揺らしてこのチャントを歌うのを見ていると、自然と目頭が熱くなりました。
私自身、彼に対して特別の思い入れがあった訳ではありません。むしろ、レナトの代わりで急きょチームに加わったマイヤは結局、数試合の出場で1点も獲れないまま半年でチームを去ったので、フロンターレの選手としての印象はそれ程なく、レナトの穴埋めにはならなかったとしか当時は思っていませんでした。
そして、その1年後に突然ショッキングなニュースが飛び込んできました。
この飛行機にはC大阪に在籍したFWケンペス選手(当時34歳)も乗っており、元Jリーガ2人を一気に失くした悲劇でした。しかもマイヤはこの時24歳、若過ぎる死でした。
マイア、フロンターレを選んでくれてありがとう。 https://t.co/vRxvDjJh0k 【広報】 #frontale #ForçaChape #ForçaChapecoense #EstamosComChapecoense #ArthurMaia #Eternos pic.twitter.com/NK9irrxnAU
— 川崎フロンターレ (@frontale_staff) November 30, 2016
この時、彼とはエウシーニョがまだコンタクトを取っていて、チャンピオンシップで敗退したことを告げ、まだ天皇杯が残っていると言っていたそうです。
なので、16年の天皇杯にはマイヤのチャントを何度も歌いました。この年、フロンターレは結局、翌年元旦の天皇杯決勝でも鹿島に敗れタイトルは獲れず、加えてフロンターレを大きく変え、さらなる可能性を示してくれた風間さんもチームを離れ、お別れが続いたシーズンとなりました。なので、翌年17年に初タイトルを手にした時も、彼のことはみんな忘れていませんでした。
あれから、はや7年。
もう誰も彼のことを覚えていなくても不思議はないのに、この日また彼のチャントを歌い、彼のユニフォームが掲げられたというニュースは胸にジンとくるものがありました。
陸前高田との絆もそうですが、フロンターレの一番良いところはこの”忘れない”と言う気持ちの強さだと思います。