専門医試験にまたまた奇跡的に合格し、
そのおかげでか医師10年目にしてやっと昇進した。
その分、責任と労務も待っている訳で、
今まで家庭中心でやって来た仕事も、職場の方に少しずつシフトさせて行かなきゃいけないだろうなと感じている。

でもね、
なかなかカミさんがそうはさせてくれんですわ…( ;´Д`)。
研修に申し込もうかと思ったら、幼稚園行事があるから困る!と言い切られてしまった。

僕が仕事に専念できるのはいつ?…>_<…
また、酷い被害が出なければ良いなと願うのみ。

しかし、週末にイベントがあるんだが…、
飛行機や新幹線が止まったら無理じゃね?

ミソジノツブヤキ


多くの人がいながら、それぞれの人が思うこと考えることはそれぞれ違う。
それは、その人が生まれ育った環境に大きく起因することは紛れもない事実だろう。
それ以外には、日常生活で目の当たりにする現実の違いが大きいと感じる。

たとえば、平和な世の中で何の苦労もなく自分の思い通りに生活できる人は、その目の前の世界が現実となる。
それが、どこぞの大富豪の御曹司であれば、考えるスケールも遥にでかく、やりたいことと言えば国家を動かすレベルの事業だったりするかも知れない。
それが、片田舎の恵まれた家庭に育った農家の息子なら、勤勉に農業に従事することが幸せと感じていることかも知れない。
たとえば、常に内戦状態にある地域で生まれ育ち、目の前で人が死んでいくのを目の当たりにして来た人は、生きることの意味や生き抜く術についてを日々考え、その中で自分自身が生き抜くことを幸せと感じるだろう。
その中でも哲学的なことを考えながら育ってきたものは、生きる意味やその喜びを噛みしめるだろうし、唯生き抜くことだけを考えて育ってきたものは、生きる喜びなどを感じることなく殺戮の中に幸せを感じているかも知れない。

上に書いている内容は極端な話ではあるが、今この平和な日本国内にあっても、その人が生まれ育った環境や今現在目の当たりにしている環境によっては、その人の考え方、幸せせの方程式は大きく異なる。
おそらくそれは一つ屋根の下で過ごす家族の中でも違うだろう。
企業戦士として外で働く父親は、社会の構造や経済の動き、人との繋がりをどのように円滑に進めるかと言ったことを考えて生活し行動する。
子を育て、地域の住人との繋がりの中で生きる母親は、人の心の機微を感じ、その動きを読むことで自らが、家族が幸せとなれると考える道を選び行動する。
まだまだ幼き子供らは、自らの欲望のままに生き、その失敗と成功の中で自らの体験を成長させ、自身の人格形成に繋げていく。
このように、一つ同じ屋根の下で生きる者たちでさえ、その考え方は大きく異なってくるはずだ。

そんな中で、自分の考えを貫き、他の者との疎通を図らなければ、自らの目指す方向にしか眼が行かず、他の者の考えや行動を理解できないままになってしまう。それが時にコンフリクトの原因ともなるであろう。
それが一つ同じ屋根の下で生活しながら起こってしまうと、悲惨な家庭内別居状態だ。

これは家庭という単位の中だけの話でなく、学校や会社など、一つのコミニティの中で常に起こりえる問題だ。
時には自分自身の考えに固執することなく、周りにいる人の言葉に耳を傾け、その人たちを思いやって行動することが、しばしば生まれるひずみを解消するであろう。
その為にも、目の前にあるものが全てではないことを自覚し、様々なモノを感じ取るセンスを身に付けたいものだ。