夏になると増える水の事故。

川であったり、海であったり、
暑くなれば当然水遊びをしたくなるし、そういう所に出かけるのはわかるが、
やっぱりそこで命を失われるのは忍びない。

しばしば問題になるのは無謀な行動。
「そりゃ溺れるよ」
って言いたくなる事故も多く、その代表は「飲酒して水に入る」ってやつ。

その危険性を知った上でやってるのか、飲酒のせいで理性がぶっ飛んでるからやってるのか分からないけど、普通に川や海で遊ぶのだってリスクがあるのに、そこで酒飲んで入るなんて怖くてできないよ。
それができちゃうのは酒のせいかもしれないが。。。

川にしろ海にしろ、自然の危険を知り、その対策を講じて興じるべきだよ。
特に大事な人がいるならなおさら、、、
大事な人がいないと思っている人も、実は自分のことを大事に思ってくれている人がいることを知った上で、やはり自分のみの安全を確保して遊んで欲しいな。


水の事故の予防策
・飲酒して入らない
・浮き輪などの浮力を確保しよう
・小さい子どもにはライフジャケットを着用しよう
・溺れている人がいても飛び込まない
・多くの人に声をかけよう
・自分自身の安全確保をした上で救助に向かおう
・大事な人のことを想いながら楽しもう
・自分を大事に思ってくれている人がいることに思いをはせよう
久しぶりに始めてみる。

まぁ、適当にね。
間違ったことをやってる者たちから苦情を言われ、正しいことをやってる者たちが謝罪しなければならないってのはどうなんだ?

まずは犯罪行為をしてる者たちや、礼を欠いた言動をしている者たちが先に非難されるべきだろ?
それなのに、そういう非難されるべき立場の者たちの言動を棚に上げて、そうじゃない正しい事をやっている者たちの揚げ足を取って、苦情を突きつける身勝手な者が増えているのが情けない。

さらにはそういう事案に対して、正しい事をやってる者たちを糾弾するかのような書き方をするマスコミもまたあり得ない。


せめてもの救いは、そのニュースを見てコメントする内容が「何が間違ってんの?正しい事をやってるだけじゃん」と糾弾されている立場の者たちを擁護していることだろうか。

ただ、こういうニュースが増え、周りでも学校の周囲に家を建てておきながら「校庭の子どもたちがうるさい!騒音だ!」と苦情を言い、子どもたちの遊びが制限されたり、ゴミ集積場前の安い土地を買いながら自治会に対して「ゴミ集積場を移動させろ!」と要求するモンスターたちが後を絶たない現実を見聞きするようになり、この日本という国に住む日本人という者が、もはやかつての美しい心を持った人々でないように感じるのは僕だけだろうか?

苦情を言う前に、今一度自分たちの言動を見直してみてほしい。
幼少期を海外で育った僕は、できることなら自分の子どもたちにも同じような経験をさせてやりたいと思った。
性格が形成される前に多種多様のカラー・言語を持つ外国人たちと触れることで、大人になった時に外国人に対する嫌悪感や苦手感を感じないで済むようになると思うからだ。

どうしても島国日本に住んでいると、日本人に囲まれているのが当たり前すぎて、大人になったときにそうでない環境になるとビビってしまう。
そうでない環境を避け、外国人なんかと接しようものなら後ずさりしてしまう。

でも、幸いにも自分は幼少期の経験があり、英語を話したり書いたりするのが得意なわけではないが(と言うか、どちらかと言うなら苦手だが)、外国人に対して何かしらを伝えようとする気持ちは持っている。
そんな大人に、子どもたちもなって欲しいなと思っていた。

でも、なかなかそういう機会を持つことは難しい。
なにより、自分自身のコミュニケーション能力の問題もあり、なかなか外に出るわけには行かないと思ってしまっている。
それが自分の可能性を潰してしまっているのは分かっている。

さて、、、そろそろこんな世界から飛び出して良いのではないか?
そろそろ世界に羽ばたく頃じゃないだろうか?

さぁ、羽を広げて、飛び立とう!
10年前に、とあるスポーツ少年がグラウンドで蹴ったボールが外に飛んでいき、それを避けようとして転倒した高齢者が、その一年半後に死亡したことに対する損害賠償を請求した裁判があった。
その最高裁判決は、蹴った子供の責任やその親の監督責任を問わないというものだ。
とても妥当だと思う。

そもそも、この裁判を起こすこと自体に疑問を抱く。
・蹴ったボールが外に出たのは故意ではない
・避けようとして転倒したのは、本人の運転能力に問題はないのか?
 そもそも、高齢者が原付に乗る事だけでも転倒の危険性を高めている。
・倒れて一年半経って亡くなった死因との因果関係を認めるには、偶然に偶然を重ねなければ成立せず、そこに因果関係を求めること自体が不自然。
 そうでなくても高齢者はいつ死んでもおかしくない。
そういったことを考えれば、この裁判を起こしたこと自体が問題だと思う。

もちろん遺族の気持ちも理解できないではないが、そのために被告の少年とその両親は長く苦しんできた。
その人たちのこれからを思うと、逆にかわいそうでならない。

何でも他人のせいにして訴えるような風潮になってきている昨今の日本人の気質を危惧する。