はじめに

やっとコンスタントに更新できるようになってきました。

そして、これまで書いてきたこの「本」も、だいぶ終盤に近づいてきました。

 

さて、前回までの投稿にもあるように、これまで書いてきたブログの記事を本のようにまとめています(まるで自費出版でもするかのように笑)。

 

自分で言うのもおこがましいですが(本当に!笑)、英語学習・教育とidentity・translingualについて書いた本の中では、結構充実した内容になっていると思います(まず日本語になっているものが少ない)。

 

これまでの流れを踏まえて読んでくださる方は以下のリンクからお読みいただき(THE 書き途中という感じで恐れ入りますが・・・)、今回書き足した部分のみを読まれたい方はその下から読んでください。

 

https://drive.google.com/file/d/13qvZU-1vq0UkAv4wzQ8WpI2z-5gBHEhJ/view?usp=share_link

 

 

  ドアがコミュニケーションに介入?

コラム:コミュニケーションにドアが介入?

タイトルだけを見てもよくわからないと思いますが、Canagarajah and Minakoba (2022)という論文ではコミュニケーションにおけるドアの役割が検討されております。ここで感じていただきたいことは、①コミュニケーションの奥深さ、②英語教育の研究の奥深さです。

translanguaging (実際はtranslingual practice) の研究者として超有名なCanagarajah先生の研究なのですが、そのメインテーマは「リサーチグループの会議室で使う部屋のドアが彼らの活動にどう影響するか」ということです。研究について簡単にまとめると、参加者はアメリカ・ミッドウェストにある大規模な大学のSTEM (Science, Technology, Engineering, Mathematics)の学者たちのリサーチグループで、多国籍な集団(韓国、中国、アイルランド他)です。データの収集方法は、リサーチグループの活動のビデオ、会議室の写真、インタビュー、刺激回想法です。この研究の重要な発見は、(1)会議室を様々な利用法や資源のある「空間 (space)」から、目的や意味が共有された「場所 (place)」にさせること、(2) グループメンバーのidentityを明らかにすることでした。

まず(1)についてです。この部屋には冷蔵庫や様々なものがあるのですが、ドアの開閉(具合)によってこの場の空気が変わるということです。ドアが開いている時、この部屋はただ色々なものがあって特にこれをするといったことのない「空間」ですが、会議を始める際にドアを締めることで、この部屋は本当の意味で「会議室」という「場所」に変わります。もちろん会議室という「場所」で会議をするわけですから、ドアが開いている時の「空間」にいた時とはコミュニケーションのスタイルが変わることでしょう。これはドアの機能がもたらす効果です。

次に(2)についてです。ドアの開閉(具合)がただの「空間」を目的や意味の共有された「場所」にするということでしたが、「誰が」ドアを締めるか(空間を変えるか)ということについてもこの研究では述べられています。あるグループのメンバーが入ってきて準備をしてもドアは閉められなかったのですが、このグループの中心メンバーが来たときにはいつもドアが閉められていたというのです。これは、「ドア(の開閉)」がこのグループのメンバーのidentityを示している(あるいは、決めている?固定化させている?)ということを示唆しています。

上記を読んでも、「まあそりゃあドアなんだから、会議の時は閉めるだろうし、仕切る人が閉めて会議を始めるだろうよ」という感想を抱かれるかもしれません。僕自身もそう思わない事はないのですが、それでもなおこの研究は意義深いと思います。

その一つの意義は、グループの活動に物が影響を与える可能性を真剣に研究している点です。「ドア」というありふれた「物」を研究しているのです。一般的に、活動にしろコミュニケーションにしろ、我々人間は自分の意志を持って決定していると考えると思います。考えて言葉を選び、行動する。もちろん基本的にはそうなのですが、本当に「それだけ」なのかということを、我々は疑いません。

実際、このドアという物体が彼らのこの部屋を「空間」から「場所」に変えてしまうのですから、人間の行動も自ずと変えられるのです。これは意志を持って変えているともいえますが、「その場にいるだけでなんとなく」言動が変わる事は誰しも経験したことがあるはずです。そう考えたら、物体(その空間にある物)が我々の言動を司るとも言えなくはないはずです。だからこそ、コミュニケーションを研究するのであれば、人間の発話だけでなく物に焦点を当てるのは意義深いことなのです。

また、ここまで一貫して書いてきた「identityは関係性の中にある」という考え方をさらに広げてくれているところもこの研究の意義です。どういうことかというと、これまで「人間関係」の間にidentityが生じる、といった視点でこのブログを書いてきたのですが、今回の研究は「人間と物の関係性(interaction)」のなかにもidentityは生じるという可能性を示してくれます。

一般的に、「人が物を使う(人→物)」という構図を我々は想定していますが、案外「物が人を動かす(物→人)」や「人と物が関わり合う(人⇆物)」の構図もあるのではないかということを、この研究は教えてくれています。

また、この研究では語学の発展への示唆も述べられていました。たとえばTOEFLなどの一般的な「テスト」は、言葉に依存しているということを指摘しています。「言葉の能力試験なのだから当然だろう」と思うでしょうが、この論文の意図することは、「ことばの定義への問題提起」なのです。どういうことかというと、もし研究がいうように「人と物が関わり合う(人⇆物)」のであれば、物が我々の意思決定を支え、それが言動に大きく影響することもあるはずです。だとしたら、物(もう少し広げるなら、文脈における環境要因)の影響をもっとテストに盛り込むのが自然だ、ということになります。実際こうやって色々なテストは発展してきたので、こういった研究はとても意義深いです。たとえば、TOEICでinference (推論) の問題が出題されるようになったのは、常に言われたことを理解するだけではない、といった「ことばの本質」に気づいたからです。

もちろんテストが変われば指導方法も変わるし、学習者の学習法も大きく変わることでしょう。このようなテストの影響 (washback)を考え、問題提起をしているのも、この論文の重要なポイントです。

たかがドア、されどドア。ドアに関する研究に、SLA/TESOLの偉大な研究者が真剣に取り組んでいます。コミュニケーションの研究はもうここまできているのです。

日本では今もなお、「どうやったら語学(テストで測れるような能力を伸ばすこと)に最適か」「正しい英語を身につけるには」といったことがしきりに議論されているように思います。もちろんこれはこれで大切なのですが、もっと「語学」の幅が広いことを、特に指導者である我々は理解していく必要があると思います。

今回紹介した研究は2022年のものなので、割と最近です。僕自身、最新の知見に遅れることなくついていけるように、しっかりと勉強していきたいと思います。