はじめに

新年あけましておめでとうございます。と、言いづらい始まりとなってしまいました2024年。

こうしてブログが書けることに喜びを感じながら、今年もコツコツと頑張っていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

前回までの投稿にもあるように、これまで書いてきたブログの記事を本のようにまとめています(まるで自費出版でもするかのように笑)。

 

自分で言うのもおこがましいですが(本当に!笑)、英語学習・教育とidentity・translingualについて書いた本の中では、結構充実した内容になっていると思います(まず日本語になっているものが少ない)。

 

これまでの流れを踏まえて読んでくださる方は以下のリンクからお読みいただき(THE 書き途中という感じで恐れ入りますが・・・)、今回書き足した部分のみを読まれたい方はその下から読んでください。

 

 

 

 

  translanguagingの例

translanguagingの例

    Translanguagingについてなんとなくはおわかりいただけたと思いますが、実際の例を見ることでより理解を深めていきたいと思います。ここでは7つ、様々なtranslanguagingの例をお示しします。

 

①ヨーロッパ旅行記

    僕は2023年夏に、スペインのバルセロナとフランスのパリ・ニース へ旅行に行きました。そこで改めて感じたのですが、ヨーロッパ(特にこのような観光地)は多言語が入り混じっていました。

    たとえばホテルのフロントデスクには、スタッフの名前と話せる言語が明記されていたりしました(ちなみに、日本語を話せるスタッフはいませんでした。旅行中誰一人として日本語を話す人には会いませんでした)。また、店員さんが話す時に "Do you speak English? Spanish? French?"のように、何語で話すのが快適なのかを尋ねていたのも印象的でした。これによってお互い快適に話せるので、すごくいいやり方だなと思いました。ちなみに僕のような明らかにアジア人で旅行客のような人には英語で話しかけてくるのが定番でした。そして愛想の良い店員さんだと、"Where are you from?"と聞いてくれて、日本だと答えると"Konnichiwa! "Arigato!"などといってくれました(アニメの話などをしてくる人もいました)。

このような経験から、先にも書いた大学時代にしていたホテルでのアルバイトを思い出しました。当時はインバウンドが盛んで海外からたくさんの旅行客が来ていたので、英語でコミュニケーションをとること基本でしたが、僕自身が挨拶をするときはいつも「こんにちは」にすると決めていました。そのほうが日本の雰囲気を感じてもらえると思いましたし、その反応をみて英語で良いのかを考えることができたからです(時々日本語が堪能な外国人や、いわゆるハーフの方などもいらっしゃるので)。そして、今回は自分が外国で挨拶をされる側になってみて感じたのは、やはり自分の言葉で挨拶をしてもらえるだけでも嬉しいものだなと。基本の会話が英語になるのは仕方ないのですが、そのなかで「こんにちは」「ありがとう」などと言ってもらえるだけでも嬉しかったです。おそらくこれは、自分自身のidentityを受け入れてくれたと感じたからだと思います。

少し話が逸れてしまいましたが、translanguagingについていうと、このような多言語環境ですので、当然のようにtranslanguagingは起きていました。たとえば、店員さん同士の会話はイタリア語で、こちらに話すときは英語(+イタリア語)、最後のあいさつはフランス語など、極めて自然に一つの会話の中で様々な言語が使われていました。「ただのcode-switchingじゃないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、だとしたら最後のフランス語の挨拶は英語のままでいいはずなので、これは意図的に何か意味を創造するtranslanguagingといえるでしょう。 あまりにも自然にtranslanguagingが起きていたのには改めて驚かされました。観光地という特性もあるのだろうけど、これが現代のauthenticな言語使用なのではないかと痛感しました。

 

②Netflix 人気ドラマ "Emily in Paris" 

    ドラマではありますが、僕自身の旅行と同じようにフランスでの言語使用が垣間見えるシーンがありますので紹介したいと思います。

    まずは簡単なあらすじから。

 

アメリカのシカゴ出身の主人公Emilyは、マーケティングの仕事でパリで働くことになります。仕事を頑張る傍ら、同僚や取引先の人との友情関係や恋愛関係に奮闘するEmilyを中心とした面白い作品です。舞台がパリなので、作中に映る背景もとても魅力的です!(執筆は著者)

 

フランスといえば、かつては(今も?)「英語を話さない国」という言われ方をしていました。それは「英語を話せないから」というよりも、「フランス語こそが国際語」といった思想が影響しているという見られ方をしていることが多くあります。

このEmily in Parisでもそのような雰囲気は醸し出されていますが、Emilyがフランス語の初級者であることもあり、会話の大半は英語で行われています。しかし、それでも会話中にしばしばフランス語が入り込んできます。つまり、translanguagingが見られるのです。以下では実際の会話のスクリプトをお見せしながら、translanguagingの例を紹介していきたいと思います。(※作品のネタバレにはならないような箇所を抜粋しているのでご安心ください)

 

<登場人物:3人の女性>

Camille (C): フランス語母語話者(流暢にフランス語を話す人)、英語も流暢

Sylvie (S): フランス語母語話者(流暢にフランス語を話す人)、英語も流暢

Emily (E): 英語母語話者、フランス語初級者

 

<例1>

C: (Normandyについて英語で話している)

S: Normandy? Oh, la, la. My least favorite place in France. 

 

ここでは、Sが相槌として Oh, la, la.とSがいっています。これは日本語で言うところの「ありゃりゃ」にあたるもので、大した意味がないので作中の日本語字幕には出てきていません。

単なるcode-switchingにも見えますが、この場面ではフランスのNormandyの話をしていることが重要なのだろうと思われます。SはOh, la, la. といった後に、My least favotire place in France. 「私がフランスで最も好きじゃない場所」と「強いメッセージ」を伝えています。ですので、話者の「思いがフランス語にのった」(=気持ちを表すのにはフランス語がフィットした)のではないかと推測します。実際、Sはいつもフランス語で相槌を打っているわけではないので、この場面では「フランス語で相槌を打つのが自然」と考えた(感じた)のではないかと考えることができます。

 

<例2>

(上の会話の続きで、女性3人が基本的に英語を使って会話をしている)

C: Anyway, I'm going to les toilettes. Does anyone have a euro for la dame pipi? 

E: La dame who?

C: Uh, the woman who sits outside the loo. 

E: お金を渡す

C: Thanks honey. 

 

基本的に英語で会話をしていたE、C、 Sでしたが、今度はCがフランス語を会話に取り入れています。Cは最初の文で「トイレ (les toiletts)に行くね」と切り出し、「トイレに行くために1ユーロ持ってる人いる?」と聞いています。

そのためCは1ユーロを借りようとしているのですが、les toiletesとフランス語を使っているのが特徴的です。そして、その小銭を受け取る番人のことをフランス語でla dame pipiと呼んでいます。Eが理解できるかわからないのにもかかわらず、です。(実際、Eは意味がわからず質問しています)

Cの英語の流暢さを見ると、少なくとも「トイレ」を表す英語は知っているはずですが、ここではあえてなのか忘れてしまったのか、フランス語を使っています。そしてla dame pipiですが、これはおそらく「トイレの番人」を表すを英語を知らなかったか、あるいはしっくりくる英語がないためにこの言葉を使ったのでしょう。また、アメリカでは一般的とはいえない「トイレの番人」システムだからこそ、フランス語でそのまま言ったほうがそのシステムやその番人をぴったりと表せるから使ったのではないかと推測できます。つまり、英単語が浮かばないからフランス語を使ったというネガティブなcode-switchingよりも、文化や意味へのフィット感を意識したtranslanguagingだったと考えても差し支えないでしょう。

 

<例3>

(英語で会話をしていた流れで)

S: Oh, how provincial. Oh, that reminds me, those onion-breath ploucs from the leek lobby want to hear your idea today. 

E: Um, yeah, it's almost ready. 

S: Très bien.

 

最後はSとEのオフィスでの会話のシーンです。英語で会話をしていた後、Sが "how provincial." 「何て田舎臭い(字幕は「今時?」となっていました)」と少し侮辱的な言葉を使っています。そしてその流れでSはあることを思い出し、「たまねぎの口臭のする田舎者 (onion-breath ploucs)があなたの考えを聞きたいそうよ」を続けます。

ここではprovincialという英語の侮辱的な言葉に続けて、ploucsというフランス語での侮辱的な言葉を使っています。英語で「田舎者」を表す侮辱的な言葉が浮かばなかったためかもしれませんが、ここでフランス語を使ったことには意味がありそうな気がします。実はこの後Sは、その「田舎者」が、EのAmericanness(アメリカ人らしさ) を気に入っているから英語でプレゼンをするようにとEに伝えています。ここまでの状況をまとめると、以下のように考えられると思います。

 

Sはその「田舎者」を見下している

その「田舎者」はEの「アメリカ人らしさ」を好み、プレゼンは英語の方がベターと思われる状況である

Sはその「田舎者」となんとか距離を取りたい(違いを強調したい)

英語ではなく(自分の言葉である)フランス語で「田舎者」を表すことで「心理的な距離」を作ろうとしている


 

もちろん真意かどうかはわかりかねますが、文脈から想像するに、ここではSが距離を作るために英語ではなくフランス語を使っていると考えてもオーバーではないと思います。

この抜粋部分の最後のTrès bien.は、英語でいうところのvery (=très) good (=bien) です。Sは再度フランス語を使って会話を締めることで、なんとなくフランス語が流暢ではないEに対しても圧をかけているように感じられます。

ちなみにEも作中の色々な場面で、trèsをveryの代わりに使っています。Eが懸命にフランス社会へsocializeしようとしている様子も垣間見えてこのドラマは面白いです!

 

③Singlish

    今度はヨーロッパから離れてアジアに目を向けてみたいと思います。Singlishは、第2章で書いたようにWE (世界の英語)の一つとして広く認知されていますが、translanguagingの観点から見ても興味深い言語です。本名 & 竹下 (2019/2014) によると、Singlishの特徴(いわゆる標準的な英語との違い)は以下のようになっております。

  • 言葉の繰り返し

  • 簡略化

  • 発話の最後にlah (日本語の「〜ね」のような感じ)

「言葉の繰り返し」「簡略化」は、語用論的translanguagingなのかもしれませんが、「lahを発話の最後に入れる」のはわかりやすいtranslanguagingの一例です。日本語の「〜ね」を英語の最後に入れるようなものなのですからね。ちなみに僕は、ALT(英語母語話者)同士の会話でこれをしているのを見たことがあります。「You like basketball ね?」のように会話をしていて、Singlishで発話の最後にlahと言うのと似ていると感じました。

また、本名 & 竹下 (2009/2014)で紹介されていた会話例を見ると、他にもSinglishの面白いtranslanguagingが見えてきます。

 

("standard") English: Let's buy something to eat. 

Singlish: Ei, let's buy something to makan. (makanはマレー語でeatの意味)

いかがでしょうか?さすがにSingaporeの人がeatという単語を知らない、使いこなせないわけはないと思うので、何か意図的な(もしくは習慣的な)translanguagingだと思われます。

Singaporeというと英語を共通語として普段から使っているイメージのある国ですが、このようにtranslanguagingが普通に行われているのです。


 

④ Turnbull (2020) の研究から

    今度は日本に目を向けてみましょう。島国・日本では、しばしば「英語不要論」なるものを耳にします(僕の生徒でもそのようなことを言う子が何人もいました)ので、「translanguagingなんて関係ない」と思われるかもしれあません。しかし、多くの方がお気づきかと思いますが、もちろん日本でも、英語を学ぶ/教える人だけでなくすべての人々にtranslanguagingは関係があります (Turnbull, 2020)。

一番わかりやすい例は、カタカナで表される言葉です。それらは外来語、つまり日本由来の言葉ではないものです。

少し考えるだけでもたくさんの例が思い浮かぶと思います。むしろ、「カタカナで表される表現を抜いて会話・表現をしてみてください」と言われたらとても不自由だと思います(実際そのようなゲームをするテレビ番組があったような…)。

「なんだ、ただのカタカナ語がtranslanguagingか」と思われたかもしれませんが、これも立派なtranslanguagingです(もちろんあくまでごく「一部」ですが)。こう考えると、日本で生活するすべての人がtranslanguagingに関わっているのです。

    私の直感や意見だけではなく、数は少ないものの日本の文脈におけるtranslanguagingの研究があるので一つ紹介します。Turnbull (2020) では、日本でみられるtranslanguagingをカテゴリーにわけ、いかに日本でもtranslanguagingが自然なことなのかを示しています。いくつか例をみてみましょう。

たとえば、Happy New Year「今年もよろしくね」の日本語と英語両方が書かれた標識がありますが、よく考えるとわざわざ両方書く必要はないのかもしれません。もちろんHappy New Yearを理解できない方もいるかと思いますが、大概の日本人は自然にこの表現を理解できると思います。また、Happy New Yearをどう訳すかという問題も、ここには関わってきます。Happy New Yearは「良いお年を」「あけましておめでとう」と訳すのがもしかしたら一般的かもしれません。そういった意味では、「今年もよろしくね」は、あえて書くことでHappy New Yearの意味をわかりやすくしたり、意味を深めたりしているとも言えるのです。

次に、New Arrival 「新作続々入荷中♡」「50%OFF」と書いてある広告を紹介します。これもよく見かけるありふれた表現ですが、translingualの観点から見ると、日本語と英語を併用したり、その他の意味資源 (♡、OFF、%など)を活用することで意味を強化しています。もちろん日本語と英語のモノリンガルのためにそれぞれの言語で書いているとも言えますが、「商品を売る」という目的を、意味資源のフル活用で達成しているとも考えられます。

最後に、ALOHAISAI、OKINAWAという文字とアロハポーズの手のイラストが描かれた沖縄にある標識を紹介します。わかる人はすぐにわかると思いますが、「アロハ」というハワイの挨拶と、「ハイサイ」という沖縄の挨拶を掛け合わせた造語です。「ただのシャレじゃないか」と思われるのは真っ当なご意見ですが、これもtranslanguagingの素晴らしい例です。「挨拶」はコミュニケーションの大切な一部ですので、それにユーモアを加えるのは素晴らしいことですし、それぞれのローカルな挨拶を掛け合わせることでより印象に残る挨拶にするのも意義深いことだと思います。

以上、Turnbull (2020)の簡単な例を紹介しました。期待外れだったかもしれませんが、それこそがtranslanguagingの普遍性を表しているのです。


 

⑤国際交流の授業

    我が校は私学ということもあり、毎年何名か留学生を受け入れているのですが、今年は20人程度来校しているようで、その生徒たち (年齢、出身バラバラに見えました)が我々の英語の授業に来てくれて、特別活動をするという機会が設けられました。たったの1時間でしたが、生徒たちはとても楽しそうに過ごしていました。

我々教員は、教室から広い場所へ連れていき、生徒をグループ分けしてただ見守るだけです。生徒たちはグループに分かれて、留学生が用意してくれた遊びを一緒にやります。折り紙、ジェスチャーゲーム、グループのみんながヒントをあげて引いたカードを当てるゲームなどをやっていました。

…そうです、ただの遊びの時間です。でもこの「遊び」が、translanguagingを自然にしてくれる大事な時間だと僕は思いました。

たとえば、生徒たちの会話を観察していると、留学生が日本語を話し、僕の生徒が英語を話している場面をよく見かけました。お互いのターゲットランゲージなので普通といえば普通ですが、それでも「日常」から考えると不思議な光景です。

また、留学生と僕の生徒が日本語と英語を行き来しながら会話するのも何度も見かけました。

 

留学生: It is like .. なんか...あの... washing an elephant (のジェスチャー)は難しいね!

僕の生徒: Yes, yes. Difficult. できないよ〜

 

正確な記述ではないかもしれませんが、このように会話を進め、まさにtranslanguagingという様子を感じれました。そして、「translanguagingっって国際交流では普通にやるよね」と生徒が気づいてくれたらとても意義がありますし、「オールイングリッシュ」の考えに基づく「translanguagingの壁」を取り払っていけると感じました。

もちろん互いに英語・日本語の運用能力が足りておらず、code-switchingせざるを得なかった可能性は否めませんが、それでも「意味交渉」をするために必要なことがある言語の「完璧」な文法ではなくtranslanguaging でありその心構えなのだと改めて思いました。また、このようなtranslanguagingが行われる場所、すなわちtranslanguaging space (Wei, 2011) を授業内で形成し、ここまでのtranslanguagingの例で見られる創造性 (creativity)を養っていく必要があると感じました。

 

 

⑥小笠原諸島

    もう少し、日本の文脈の話を進めていきます。ここまで見た日本の例はどちらも現代の話でしたが、少し歴史に目を向けてみたいと思います。

    小笠原諸島をご存知でしょうか。僕自信は詳しくないのですが、僕が授業で使っていた教科書にlanguage contact(言語接触)のお話があり、そこで小笠原諸島が紹介されていて、この島でのtranslanguagingを知りました。

小笠原諸島は本州から南方1000kmも離れたところに位置しています。そこには昔からヨーロッパや南太平洋の島々の人々、琉球などの日本の人々などが訪れ、一時的に滞在したり、永住するようになりました。そんな小笠原諸島では当然の如くlanguage contactが起き、日本語を基本としつつも小笠原諸島特有の言葉を生み出していったのです。

その教科書で紹介されていた例を二つ紹介しましょう。

 

<例1:me-ra>

 

読み方は「ミーラ」です。これは2語で構成された言葉で、英語のmeと、日本語の複数を表す「〜ら(例 彼ら、彼女ら など)」から来ています。これを踏まえるとわかるかと思いますが、これは英語でいうところの"we"(私たち)を意味しているのです。本州で「自分たち」を指す言葉として「ミーラ」という人は基本的にいないと思うので、これはlanguage contactが頻繁に起きていた小笠原諸島ならではtranslanguagingといえると思います。

 

<例2:mata mirutyo>

    これはアルファベット読みをするとわかるように、「マタミルヨ」と読みます。これは、英語のSee you again.から来た言葉です。それぞれの語を和訳すると、see「〜みる」、you「あなた(に)」、again「また」になりますね。それに日本語の語尾につける「〜よ(例 これ食べるよ、明日は行くよ など)」をくっつけて、「マタミルヨ」となっています。使い方もSee you again.と同じで別れ際にいう言葉だそうですが、英語表現を日本語化して使っていくなかで起きたtranslanguagingといえるでしょう。

me-raは英語と日本語をミックスして作った言葉であり、mata miruyoは英語を和訳して作った言葉ですが、どちらも本州の人々が自然に使う言葉ではなく、とてもユニークな言葉になっています。これはtranslanguagingを通じてidentityを創出、構築、表現する行為と言えると思います。つまり、これらの言葉を使うことで、translingual identityを創出、構築、表現することができるのです。

しかし、手放しで喜んでいられる話ではないということもこの教科書では言及されています。

これらの言葉は西洋出身の年配の方々によって使われているそうなのですが、中には自分たちの言葉を恥ずかしく思っている人もいるようです。教科書ではその理由が書かれてはいませんが、第2章で述べたように、ことばとメンバーシップの観点からそう思われているのかと想像します。そしてこの教科書では、ある教授が小笠原諸島のことばの貴重さについて講演したときの様子も書かれています。その講義中、聴衆の一人が「自分たちの言葉にもっと誇りを持とう」と語りかけたという様子が描かれています。ことばを大切にしたい、そして自分たちのidentityを大切にしたいという思いが現れたとてもいい場面です。また、この教科書では、「言語にとって話者の多い/少ないは関係ない」「language contactは「強い」言葉が「弱い」言葉を乗っ取ってしまうようなものではなく、互いに豊かな言葉になっていくよう平等なものであるべき」といったことも述べられています。まさにtranslanguagingに求められる姿勢を生徒に教えてくれています。

 

⑦オノマトペ

最後に、少し話がそれるかもしれませんが、オノマトペとtranslanguagingについて書いていきます。このことについて考えるきっかけになったのは、今井・秋田 (2023) を読んだことでした(2023年にこの本はかなり売れたようです。結構難しいと思うのですが、一般の人もことばに関心があるのだと知り嬉しくなりました)。とても面白い本でしたので、少し紹介させていただきます。

この本ではまず「記号接地問題」から議論が始められています。それは、「言葉を理解するには、言葉による定義や説明を覚えるだけでは足りないず、感覚との接触が必要なのではないか」という問題提起です。これはAIが言葉を本当に理解できるのか、といった問題にも密接に関わっています。

そして、オノマトペとは、多くの人が知っているように擬態語や擬情語のことで、「ぐつぐつ」「べちょ」「ブラブラ」などがあります。ちなみに日本語はオノマトペが発達した言語だといわれています。では、オノマトペの言語的な特徴についてまとめていきます。

 

<アイコン性が高い>

「アイコン性」とは、ジェスチャーや顔文字のように、「表すものと表されるものの間に類似性のある記号」(p. 12) のことです。ざっくりいえば、「ひと目見て・聞いてどんな感じか伝わる」ということだと思います。その性質が高いのがオノマトペの特性です。「ぐつぐつ」「べちょ」「ブラブラ」上にあげた三つのオノマトペを聞いてみても、そのものが「どんな感じか」は想像がつきやすいと思います。

 

<母語話者にはしっくりくる>

上に書いた三つのオノマトペですが、誰にでもしっくりくるかというと、そうではありません。たとえば日本語母語話者(あるいは日本語に精通している人)にはわかりやすくてお、日本語を知らない人には理解が難しいといったことがあります。なぜかというと、オノマトペが母語話者の世界の切り取り方(見方)に根ざしているからです。オノマトペは音のアイコンなので、母語話者が知覚し切り取った世界を表したものになります。だから母語話者以外にはわかりにくくて当然なのです。

 

<音象徴>

    直前に書いたことを否定するようですが、母語話者以外でもイメージしやすいオノマトペもあるようです。たとえば「硬い」「やわらかい」という言葉が、どちらがsoftで、どちらがhardかと聞くと、ランダムより高い確率で日本語母語話者以外でも意味が想像できるようです。

これは「音のイメージ」(音素や音韻など)が他の言語話者とも共有できていることを示しています。もちろん世界中すべての人と共有できるということはないと思いますが、母語話者の感覚に根ざした音のアイコンであるオノマトペを他言語話者も理解できるとなると、とても興味深いことです。

 

<ジェスチャーと一般言語の間のような存在>

    オノマトペはジェスチャーほどダイレクトなアイコンではないものの、一般言語よりはアイコン性が高いです。言い換えると、具体(ジェスチャー)と抽象(一般言語)の間といったところでしょうか。

そのため、オノマトペは子どもの言語学習にも大きく貢献します。一般言語はとても抽象的なもの(特に動詞)なので、習得するのはものすごく大変です。しかし、子どもにとってオノマトペはとても大きな助けになります。たとえば「犬」「猫」という言葉は実物との結びつきがわかりにくいですが、「ワンワン」「ニャンニャン」といえば鳴き声に関連があるのでイメージがしやすいです。これは、子どもが言語学習を進めるにあたって大事な足場がけ(scaffolding)になります。そして、日本語世界のイメージを身につけていくことも促進します。

 

これらの特徴を踏まえて、英語学習・教育においてオノマトペがどう関わってくるかを端的に書いていきます。

 

<英会話でのオノマトペの積極的活用>

母語話者にはわかりやすく、他の言語話者にはわかりにくいことも多いオノマトペですが、英会話で活用していくことで、オノマトペの発達した言語である日本語の話者のidentityを表すことができると考えています。

もちろん、会話の相手に理解を押し付けるのは横柄な態度ですが、だからといって日本語話者identityを捨てて「英語話者になる」必要もありません。その中庸を目指していくために、オノマトペを活用していきます。日本語の一般語でも英会話に取り入れて良いと思いますが、オノマトペの方がより理解される可能性が高いのなら、積極的に使うべきかと思います。そこで「その言葉どういう意味?」なんて会話が弾んだら、比較文化的な学習につながりますし、相互理解につながっていくと思います。

また、identityと離れて考えてみても、オノマトペは英会話の練習に役立つと思います。通じない可能性もありますが、使ってみることで意味のやり取りが生まれるかも知れません。たとえば、

 

日本語話者:The water was ... グツグツ (ジェスチャーとともに). 

英語話者:Oh, it was ... boiling?

日本語話者:Yes! It was boiling!

 

このようなアップテイクが見られるかもしれません。オノマトペをscaffoldとして活用することは、英語のインプットやアウトプットを増大し、また相互理解や異文化交流を促進する可能性があるのです。

 

<translingual オノマトペ>

    ここまで前置きが長くなってしまいましたが、一番第3章の内容に関係があるのはこの「translingual オノマトペ」です。

英会話で日本語のオノマトペを積極活用することは、identityの表現・構築のためでもありますが、それ自体がtranslanguagingだからということもあります。そのメリットは上に書いた内容ですが、もう一つtranslingualな視点から考えてワクワクするのが、translingual オノマトペが生まれる可能性です。

具体例までは浮かびませんが、もしかしら英語にも日本語にもないオノマトペが英会話の中で自然に生まれるかもしれません。また、意図的にそのようなことを考えるアクティビティも面白いかもしれません。

上にも書いたように、オノマトペは言語固有のものでありながら、「音のイメージ」が共有されている場合があります。その「近いけど遠い」「似ているけど違う」といった距離感を理解できるようになることも、オノマトペを活用することで得られるメリットだと思います。

また、オノマトペの積極使用を通じて、translanguagingのハードルが下がり、そして指導者からのtranslanguagingへの理解が得られるようになればなおよしです。translanguagingは現代においてはむしろ自然な言語使用なので、そこを目指すためにもオノマトペの活用は大切だと思います。