はじめに

前回までの投稿にもあるように、これまで書いてきたブログの記事を本のようにまとめています(まるで自費出版でもするかのように笑)。

 

自分で言うのもおこがましいですが(本当に!笑)、英語学習・教育とidentityについて書いた本の中では、結構充実した内容になっていると思います(まず日本語になっているものが少ない)。

 

今回書き足した部分のみを読まれたい方は以下を読んでいただき、これまでの流れを踏まえて読んでくださる方は以下のリンクからお読みください(THE 書き途中という感じで恐れ入りますが・・・)。

 

 

 

 

  identityカテゴリー

     第二言語学習において、identityとそれにまつわる概念がいかに複雑であるのかおわかりいただけたと思います。また、identityには様々な種類があるということも、ここでおさえていきたいと思います。Block (2014) を引用し、まとめていきましょう。長くなるので、先に結論を記しておきます。これを参考に読み進めてください。

 

結論:「identityには色々なカテゴリーがあり、人はみな複数のidentitiesを併せ持っている」

 

Ethnicity and race 

まずは、ethnicity「民族性」とrace「人種」です。identityの一つとしてイメージしやすいカテゴリーだと思います。しかし、Blockは、これらはnationality「国民性」などとミックスされがちであるとし、このようにひとまとめにしてしまう危険性を指摘しています。

特に日本に住む人々は(この「日本に住む人々は」というのもある種の「ひとまとめ」ですが)、民族や人種に対して意識が薄い傾向があると思います。「日本人」といっても、両親とも外国ルーツの方ということもあるし、いわゆる「ハーフ」の人も増えてきていますが、まだ「日本人」というのは一つの民族、人種で構成されていると思いがちです。のちに詳述しますが、これに起因する門外も数多くありますので、もっと真剣に考えなければいけないidentityの一つとなっております。

 

National identity

次は、national identity「国民/国家」identityです。上記に述べたことと重なる部分に加えて、Blockはimagined communitiesについても触れています。また、national identityは、様々な「象徴となるもの」や「活動」を通して養成されていくものであるとも述べています。

 

Migrant identity

続いては、migrant「移民」identityです。これも島国・日本に住む人々には少し馴染みがないidentityかもしれません。「データであぶり出す移民と日本社会の関係」という記事にもあるように、日本人は外国から来た人を「お客さん」と見る傾向があるようですが、Blockは以下のようにまとめています。

 

Whereas in the past, immigration, with the connotation of 'staying for life,' was the dominant option, today migrants can live, as it were, straddling geographical, social and psychological borders. 

かつては、移民といえば、「一生そこで住む」という含意があり、それが有力な選択肢だったが、今日では、移民はいわば地理的、社会的、心理的な境界線を跨いで生きているのだといえよう

 

コロナ禍以前を思い出すと、確かに世界中を簡単に行き来し、留学やワーキングホリデー、移住をする人が多かったように思います。「移民」identityも変わってきています。

 

Gender

gender「ジェンダー」identityは日本でも随分注目されるようになっているでしょうか。しかし、「ジェンダーギャップ、日本は146カ国中116位 : 政治分野では下から8番目」という記事にもあるように、依然として問題解決には時間がかかりそうです。

また、Blockは、「生まれ持った」「固定観念化された」性別を、ポスト構造主義的に見るとどうなるかについて、以下のように述べています。

  1. ジェンダーとは、「持っている」「そうである」ものではなく、「するもの」である

  2. ジェンダーとは、言葉や(言葉以外の)意味を示す行動によって媒介される、社会の中での実践行動による結果である

  3. ジェンダーを決める営み (=gender work)は、女性だけでなく全ての人間がすることである

  4. ジェンダーidentityは、他のカテゴリー(民族、人種、国民性、社会階級など)とともに研究されるべきである   (pp. 42-43)              

第二言語習得論 (SLA)の文脈でジェンダーを考えると、たとえば日本語話者が英語を使うと一人称が「I」ひとつになるため、ジェンダーidentityを表すのが難しくなります。反対に、英語話者が日本語を使うときは、一人称で多様なジェンダーidentityを示すことができると気づくでしょう。このように、ジェンダーidentityも第二言語学習と密接に関わっています。

 

Social class 

5番目は、「社会階級」のidentityです。こちらも比較的想像しやすいと思います。

私は留学時代、大学にある語学学校に通っていたのですが、そこにいた中国人の生徒は間違いなくhigh-classな家庭の人々でした(年下でしたが、よくご飯を奢ってくれました笑)。また、UAEと韓国出身の中年の生徒もいて、お二方とも生活にゆとりがあったと思います。彼らのそのidentityは、少なからずクラスで影響力がありました。指導者も含めて、彼らをなんとなく「大人」として扱っていたのです。それでもアメリカという地で私や他の留学生と同じクラスにいるため、社会階級identityの効果が弱まり、「留学生」というidentityで括られるというのもまた面白いことではありました(こちらものちに詳述します)。

また、日本でも裕福な家庭の多い地域では、英語塾や英会話教室がたくさんあり、高い人気を博しています。これもまたsocial classと英語学習・教育における一つの論点です。

 

Language identity 

最後に、「ことば」identityです。ことばidentityの単位は、たとえば日本語といった「言語」、関西弁といった「方言」、ある社会的なグループ(スポーツ集団など)特有の「社会言語」といったものがあります。

ここには注意すべき点があります。一つには、その人のidentity が言語能力によって「評価」されるということが出てくるということです。また、ことばとコミュニティを過度に結びつけてしまい、「このことばを話すからこんな感じの人だよね」というふうにidentityが決められる可能性があります。これと同時に、「このことばを話せないなら、このコミュニティの人ではないよね」といった排他的な見方につながる危険性もあります。最後に、ことばとidentityが密接な関係だと思いすぎることで、不必要に「外国人」扱いしてしまうことがあります。たとえば、見た目が「外国人っぽい」人に、「日本語話せますか?」などとなんとなく聞いたり、何語の話者かも考えずに英語で話しかけてしまうことがあります。そうすると、相手に「外国人扱い」されたと思わせることになり、不快な思いをさせてしまうことがあります。


 

以上、identityのカテゴリーをまとめてみました。ここで、この節の冒頭に書いた「identityには色々なカテゴリーがあり、人はみな複数のidentitiesを併せ持っている」という結論にもう一度戻ってみます。

たとえば、いわゆる「純ジャパ(日本で、日本ルーツの両親から生まれ育てられたこと)」だと思っている人でも、社会階級が均一ということはなく、またジェンダーに関しての捉え方は多様化しております。言語一つとっても、いわゆる「標準語」を使いこなせたとしても、それを「母語」と思っているかどうかはその人次第です(「方言」が一番落ち着く人もいます)。

また、いわゆる「ハーフ」と呼ばれる人は、identityの葛藤を抱えていることがしばしばあります。たとえば、NBA(アメリカバスケットボールリーグ)選手の八村塁さんはベナン人の父と日本人の母がいますが、「日本では黒人扱いされ、アメリカに行った時は日本人扱いされた」といったことを述べていました。これは、どこにいてもまさに「ハーフ」(「全きもの」ではなく「半分」)扱いされていることをよく表していると思います。

このように、人はみな「本当の自分」のような画一的で静的な一つの「個性」をもっているのではなく、多面的で流動的なidentititiesをもっているのです。このことを理解することが、identityにまつわる問題の解決の糸口になっていくと思いますし、英語学習・教育が果たすべき大きな役割なのだと思います。