はじめに

今回は、前回の投稿の続きを少しだけ。

 

『ムラブリ』の内容を少し付け足していきたいと思います。

 

後半の太字にしている範囲が今回付け足した箇所なので、前回の内容を読まれた方は太字の部分だけでも呼んでいただけると幸いです。

 

 

  ムラブリ(後半の太字の部分です)

ことばの社会的側面: language socialization 

 

    以上のように、従来の(そして現代でも主流な)SLAの理論はインプット、アウトプット、インタラクションがベースにされています。このこと自体に問題はないですし、現場の教員としても納得することが多いのですが、特にインプット・アウトプット理論に関していえば、大きく欠落した観点があるように思います。それは、ことばの「社会的側面」です。

    ことばの「社会的側面」とはどういうことかというと、ことばは社会的営みにおいて使われるということです。機械的に言語材料をインプットするわけでもないですし、機械的にインプットした言語材料をアウトプットするわけでもありません。人はことばを媒介にして、社会に馴染んでいく生き物です。この観点が、従来のSLAの理論に欠けている部分です。

    このように、ことばを通じて社会に溶け込んでいくプロセスに焦点を当てた考え方を、SLAではlanguage socializationと呼び、近年大きな研究テーマとなっています。Ishihara & Cohen (2022) では、以下のように述べられています。

 

"Language learners and children are considered novice community members who gradually learn the knowledge, orientations, and social practices of the community. As part of this socialization, novice members learn to use language through exposure to and participation in local practices" (p. 125) 

言語学習者や子どもはコミュニティの新参者と考えられ、彼らは徐々にそのコミュニティにおいての知識や方向性、社会的実践を学ぶ。この社会化の一部として、彼らはそのコミュニティの実践の一つひとつに触れたり参加したりしながらことばを使うようになっていく

 

    このように、人々はコミュニティに参加をしながらことばを身につけていき、そのような社会化の過程でそのコミュニティ内でより中心的な役割を担っていくのだとIshihara and Cohen (2022)は述べています。そうやって人々はコミュニティ内でのidentityを確立していくのです。

 

また、第二言語によるsocializationはsecond language socialization と呼ばれ、従来のSLAでは注目されなかったことばの社会的側面に光を照らしてくれています。Duff (2012) では、以下のように述べられています。

 

"a process by which non-native speakers of a language, or people returning to a language they may have once understood or spoken but have since lost proficiency in, seek competence in the language and, typically, membership and the ability to participate in the practices of communities in which that language is spoken" (p. 564)

(secong language socializationとは、) ノンネイティブの人々や、元々は理解していたり話していた言語で今はその能力を失った人々が、その言語の能力やメンバーシップ、その言語が話されているコミュニティの実践に参加する能力を得ようとするプロセスである

 

ここでのキーワードは「メンバーシップ」でしょうか。第二言語を学ぶことで、第二言語コミュニティのメンバーシップを手に入れられるわけですね。

 

以下では上記のlanguage socialization、second language socializationの定義を踏まえた上で、日常に見られる具体例を見ていきたいと思います。

 

language socialization、second language socializationの例

 

① プロバスケ選手・田臥勇太選手

十数年前、日本バスケットボール界のレジェンド・田臥勇太選手が何かの番組で語っていたのことです。田臥選手は神奈川県横浜市出身で、中学までは地元の学校に通っていましたが、高校では秋田県の名門・能代工業高校(当時)に進学しました。そこでの出来事で、「標準語で話していたらどこの言葉を話しているんだといわれ、秋田弁を話すようにといわれた」と語っていました。田臥選手が話していた標準語は、もちろん日本で生まれ育った人なら誰しも理解できるはずですが、なぜか田臥選手は話していたことばを矯正されてしまいました。これは一体、何の為だったのでしょうか?

これは、language socializationの例の一つです。というのも、田臥選手が能代高校で秋田弁を話すようにいわれた理由は、「彼が今いるコミュニティは秋田の名門・能代工業高校バスケ部なんだ、ということを認識させるためだった」ということだったといえると思います。そして実際、彼はバスケ能力はもちろんのことですが、秋田弁を含めてこのチームでの振る舞いを身につけていきながら、チームの中心プレイヤーという確固たるアイデンティティを獲得していったのです。

 

② アルバイト・職場

アルバイト経験がある人ならわかるかと思いますが、その職場での独特な言葉をまず最初に学んだのではないかと思います。

たとえば、「おはようございます」という挨拶。学校時代に「朝の挨拶」として学んだ「おはようございます」は、アルバイトの現場ではよく「初めて会った時の挨拶」として利用されています。このように、同じ言葉でもコミュニティによって異なる意味を持っていたり、異なる役割を果たすことがあります。もし一人だけ「こんにちは」「こんばんは」と挨拶していたら、それだけで嫌われるようなことはないにせよ、なんとなく「よそ者」感が出てしまうかもしれません。

ほかには、「お疲れ様」という言葉ですが、これも「挨拶」として機能する職場が多いのではないでしょうか。朝も昼も帰り際もメールの一文目にも「お疲れ様です」が使われることがあります。これも本来の意味とは違っていそうですが、この一言で会話を円滑に始めたり、進めたり、終わらせたりすることができます。

もちろん、その職場の業務をこなす上で必要になる具体的な言葉(略語など)もlanguage socializationにおいて重要です。こういったことを学習しながらそのコミュニティへの参加・参画を増やしていき、identityを確立していくのです。「ことばの学習」と「参加」はコインの裏表のようなもので、切ってもきれない関係ですね。

 

③ 「ビリギャル」でお馴染みの小林さやかさん

    「ビリギャル」一躍有名になった小林さやかさんですが、現在はアメリカの大学院で教育について学んでいるそうです。そんな彼女が、X(旧Twitter)で以下のようなことを書いていました。

 

「英語がちょっと出来るようになっただけで、こんなに世界って広がるのかぁと毎日感動してにやにやしている」

 

 

これは、second language socializationの例です。「世界が広がる」というのは、「新たなコミュニティを手にする」という意味でもあるかもしれません。このように、第二言語を学習するということは、ペーパーテストで測れるような言語力を高めたり、機械的な翻訳のスキルが上がるようになるだけではないのです。

 

④ 日本の某英会話教室

私が働いていた子ども向けの英語教室(教室といっても遊んで学ぶタイプ)では、日本語を話すことを禁止し、そこにきたら英語しか話してはいけないというルールがありました。子どもたちは先生が考えたアクティビティに参加しながら、また友達と遊びながら英語を学んでいました。4月には新しい子どもが入ってくるのですが、その子たちもまさに「習うより慣れろ」といった形で言葉を覚え、その既存のグループに混ざっていきました。4月には「ママ、ママ...」といった感じで帰りたがっていた子も、数ヶ月の間にグループの中でも目立つ存在になっていたりしました。

そこでの言葉の習得のわかりやすい例をあげると、子どもたちはMay I ~?という表現を覚えていました。もちろん他の場面にも応用がきくような子どもは稀ですが、特定の場面・文脈においてはその表現を使って自分のしたいことを表せるようになっていました。このような一つひとつの言葉の学習が、彼らのメンバーシップにつながっているのだと感じました。これもsecond language socializationの例といえると思います。

 

⑤ アメリカに住む日本人女性

SNSで聞いたお話を例にあげさせていただきます。その方はご主人がアメリカ人のようで、そのご主人に言われた言葉がとても示唆に富んでいたので紹介します。

 

「君(その日本人女性)はアメリカにいると、日本にいるときより社交的じゃないよね」

 

この言葉を聞いて、読者の方にも「私と同じ」「私は逆に、アメリカにいる時の方が楽だし社交的かも」といった感想を抱かれるかもしれませんね。

この日本人女性によると、英語力の問題と文化への適応の両方の問題から、なかなか社交的になれないのだということでした。

これはまさに、second language socializationの、resistance「抵抗」を表す例だと思います。もちろん英語力があればもっと社交的になれるという意味ではsecond language socializationの過程なのですが、文化的理由から社交的になれないのを仕方ないと感じているところを見ると、この方はそのコミュニティに馴染むことを必ずしも目指していないということが感じられると思います。

このように、second language socializationの過程は、必ずしも「右肩上がり」にコミュニティに溶け込んでいくばかりではありません。抵抗感があったり、複雑な気持ち (アンビバレンス)を抱いたりといろいろあるのです。

 

(↓が今回追記した内容です)

 

ムラブリから見ることばの社会的側面

 

今年(2023年)読んだ本の中で、個人的に大ヒットをした本の中に『ムラブリ』(集英社インターナショナル)というものがありました。ムラブリとは、簡単にいうと、この本のサブタイトルにもあるように「(タイやラオスの山岳地帯で生活している)文字も暦も持たない狩猟採集民」のことをいいます。

筆者の伊藤氏はこのムラブリの研究者で、文字を持たない彼らの調査には「フィールド言語学」という手法を用いており、現地に赴いてムラブリの生活や言葉について研究されています。

僕は英語学習・教育を主軸に「ことば」に興味を持っている人間なので、ムラブリ語自体にはさほど関心はないのですが、この本からわかることばの社会的側面について少しまとめます。

 

① 言語学習と身体性

 

筆者はムラブリ語の学習について、ムラブリ語を学ぶということは、その身体性を身につけるということであり、また別の身体性には別の人格が伴うといったことを述べています。

この後詳述するのですが、これはまさにことばとidentityについて表しています。ムラブリ語を身につけて「ムラブリ的身体性」を身につけた筆者は、最終的にムラブリ的な生き方を模索していく方向に向かっておられるようです。このことは、言葉を学ぶということは、ただ単語の意味や文法を知るということではないということを改めて教えてくれています。

もちろん日本で英語学習をしているだけではそこまでのインパクトはないかもしれませんが、ただ文法を覚えて文字ベースで学ぶということを超えてどっぷりとその言語につかれば、「かくれた文化」(鈴木, 1973)を身につけ、自分のidentityに大きなインパクトをもたらせてくれるでしょう。


 

② グループ間の差を示すためのことばの差異

 

ムラブリは他のムラブリグループに興味はあるのですが、他グループのムラブリは「人食い」であるといった噂を信じて、あまり馴染もうとはしてこなかったそうです。それもあり、他のグループとの違いを示すために、少し言葉を変えたりしているのだといいます(例 男女で使う言葉を変える)。

これは前述した、「ことばとメンバーシップ・排除の問題」と関連があるということを示しています。やはり様々な部族や地域で、ことばはidentityを示す重要なマーカーとして機能しているようです。


 

まとめ

 

以上、従来のSLAの考え方と異なり、ことばの社会的側面に焦点を当てた考え方である、language socializationについてみてきました。これは母語であっても第二言語であっても、日常的に起こっているようです。その例として、バスケ界のレジェンド・田臥勇太選手の例、アルバイト・職場の例、「ビリギャル」こと小林さやかさんの例、日本の某英会話教室の例、アメリカに住む日本人女性の例について簡単に分析しました。そして、文字も持たない部族であるムラブリにおいても、メンバーシップと排除といったことばの社会的側面が見られるということを確認しました。

このように、ことばというのは、それが母語であれ第二言語であれ、社会的側面を孕んでいます。それゆえに、その面を軽視した学習法というのは、ことばの本質としてそぐわないということになります。

一方、第二言語学習においては、このような社会的側面を軽視し、学習する言語の単語と文法を理解し、覚えることが最も効率的な学習法であるかのように考えられることが多々あります。そこで見過ごされてしまうのが、学習者のidentityの問題なのです。「ことばとidentityは関連がある」ときいて違和感を覚える人はそういないでしょうが、第二言語学習においてidentityが重視されることはほぼないと言っても過言ではありません。そこで、この先の節では、SLAにおいてidentityがどのように議論・定義されているのか、またidentityをめぐる問題点などについてまとめていきます。