はじめに

前回の投稿では、「ことばとはどのように学ぶものか」という問いに対して、ことばの社会的側面からその一つの解を考えていきました。そこで紹介したものが「言語社会化理論」で、とりわけDuff (2012) のsecond language socialization「第二言語社会化理論」について考察しました。

 

"a process by which non-native speakers of a language, or people returning to a language they may have once understood or spoken but have since lost proficiency in, seek competence in the language and, typically, membership and the ability to participate in the practices of communities in which that language is spoken" (p. 564)

(second language socializationとは、) ノンネイティブの人々や、元々は理解していたり話していた言語で今はその能力を失った人々が、その言語の能力やメンバーシップ、その言語が話されているコミュニティの実践に参加する能力を得ようとするプロセスである

 

今回はことばとメンバーシップ(コミュニティの「会員証」のようなもの)、そしてそのリスクについて考えていきます。

 

  ことば・コミュニティ・メンバーシップ

あるコミュニティで使われることばを学び、それを使用することは、そのコミュニティでの実践(活動)に参加することを可能にしてくれます。その例について、前回の投稿では母語と第二言語両方のケースで考えていきました。

 

前回の投稿で見たのは、自分が接している「顔の見える」コミュニティにおいてのsocializationでした。ですが、この (second) language socializationは、より広い「顔の見えない」コミュニティにも適用されることがあります。

その最たる例が「国家」というコミュニティです。Benedict Andersonの「想像の共同体」にもあるように、ある国家にいる人々は全員が知り合いでもないのに、「想像的」に同じ共同体に属していると感じています。そして、その「想像の共同体」へのsocializationにも、メンバーシップが付き纏うことがあります。

 

日本を例に考えてみましょう。たとえば、「日本という「想像の共同体」にいる人は日本語を話す」というテーゼを疑う人はあまりいないと思います(深く考えない限り)。これをlanguage socializationに絡めて考えると、「日本語を学ぶことで日本というコミュニティへのメンバーシップを手に入れ、それによって日本社会への参加を可能にしている」ということになります。これは母語として日本語を学ぶ場合でも、第二言語として日本語を学ぶ場合でも同じです。日本語を学ぶことで、日本社会の営みに参加しているのです。このように、想像でしか繋がれないような大きなコミュニティにおいても、language socializationのメンバーシップという考え方は当てはめることができます。

 

  メンバーシップとその危険性

ことばとメンバーシップの関係は、ややもすれば危険な使われ方をすることがあります。その典型例が「排除」です。例えるなら、「このジムは会員限定なので」と入れてくれないように、メンバーシップがないとそのコミュニティに参加することができなくなります。ことばで考えるなら、日本にいる外国人をみたときに、日本語を話せるなら「おー、日本に馴染んでいるな」となり、日本語を話せないのなら「あ、よそ者ね」といったふうになります。ここまで露骨な「排除」はないにせよ、「よそ者」と判断したが故に変によそよそしくなったり、遠慮したり気を使ったりしてしまったりすることはあると思います。

 

ことばとメンバーシップという考えから生まれる「排除」の究極な例を、田中 (1981/2018)から見ていきましょう。それはかつて沖縄で見られた「罰札制度」です。どんなものか見てみましょう。

 

「横一寸縦二寸の木札」を用意して、誰か方言を口にした生徒がいれば、ただちにその札を首にかける。札をかけられたこの生徒は、他に仲間のうちで誰か同じまちがいを犯す者が出るのを期待し、その犯人をつかまえてはじめて、自分の首から、その仲間の犯人の首へと札を移し、みずからは罰を逃れることができる。しかも、これはゲームの装いをとりながら、罰札を受けた回数は、そのまま反映するというものである」 (p. 118) 

 

いかがでしょうか。これは戦前の話ですが、このようなことが起きていたのです。方言はまさにある地域というコミュニティのことばであり、方言を話すことはそのメンバーシップを示す行為でもあるのです。それを禁じることは、沖縄のコミュニティのメンバーシップを剥奪することになります。そして標準語を強制することは、国家というより大きなコミュニティにsozializeさせるということになるのです。逆に標準語を話さない者は、国家のメンバーシップがないということになります。そんなことをこの当時はしていたということです。このように、ことばとメンバーシップが関わる事を悪用すれば、メンバーシップ剥奪による排除につながってしまうのです。

 

  第二言語とメンバーシップ

実際に、第二言語とメンバーシップに関して気をつけなければいけないことが身の回りにあることに、私たちはもっと敏感にならなくてはいけません。

 

私が注意深くみているのが、大坂なおみ選手です。彼女の第一言語は英語だと思いますが、ある記者会見で日本人の記者は彼女に日本語を話させようとしました。彼女のcuteな日本語の言い回しを記事にしたいということなのかもしれませんが、彼女は明確に断っていました(この記事をご覧ください)。

大阪選手の気持ちを正確に理解することはできませんが、私はこのやりとりをことばとメンバーシップという観点から見ています。彼女に日本語を話させることは、ある意味では日本というコミュニティへsocializeさせることであり、それによってメンバーシップを与えるかどうかを決めているようにもみえるのです。だから彼女は、日本語テストをさせられているような気がして嫌な気がしたのではないでしょうか。記者の方に悪気がなかったとしても、ことばとメンバーシップの関係がある以上、ある言語を強要することはリスクが伴うのです。

 

他の例は、英語の授業で日本語を禁止する方針です。もちろん英語の授業なので、そのスキルを高めるためには英語に関わらせる必要があります。それを少しでも増やすべく、日本語を禁止するという方針にも理解はできます。ただ、これもメンバーシップという観点から考えると、少し危険な行為と言えると思います。

一つには、英語に苦手意識がある人をクラスというコミュニティから排除してしまうことです。参加ができなくなる以上、学びが起きることもありません。二つ目の理由は、現実社会に即していないやり方であるという点です。「留学に行ったら日本語を使えないじゃないか」という人もいるでしょうが、思考したりある特殊な意味を創出するために、日本語というリソースを活用することは留学中にだってあるのでこの指摘は正しくありません。また、世界の英語を使う人口の多くは母語者ではなく第二言語(や外国語)として使っている人々なので、自分の母語のリソースを駆使して英語を使うのが世界の「スタンダード」になりつつあります。

そうであるにも関わらず、英語の授業の日本語禁止を頑なに実行するのは適切ではないと思います。もう少しバランスの取れた指導が求められるでしょう。

 

  おわりに

ことばとメンバーシップ、そのリスクについて考えてきました。かつての沖縄のような「罰札制度」のようなものはないにせよ、ことばとメンバーシップには「排除」というリスクがつきまとっているのを我々は自覚しないといけません。

 

英語学習者のみなさま

ことばとメンバーシップが結びついている以上、自分が使うことばには慎重になる必要があります。ただ逆に言えば、自分がことばをどう使うかでどのようなメンバーとしてコミュニティに関わっていくかを示すことができます。そしてそれは、そのコミュニティの行いを変えてしまうほどのパワーを持つこともあります。難しい話ですが、簡単にまとめるなら「誰かの言いなりになって英語を学ぶ必要はない。自分がこうなりたいと思うidentityをイメージして、自分が思うように英語を学んでいきましょう」ということです。

 

英語教育者のみなさま

ことばとメンバーシップが強く関係していること、そしてそれゆえにある言語の使用を強要することは排除につながってしまうということをより自覚していきましょう。特に授業の際には、「母語禁止」とするよりも「学習者の母語をどう活かすか」を考えていただけると幸いです。第二言語学習と母語の学習の最大の違いは、第二言語を学ぶときにはすでに母語を知っているということです。それは活かすべき「財産」だと私は感じています。第二言語学習にうまく活かしていけるといいですね。

 

 

参考文献

田中克彦 (1981/2018). 『ことばと国家』岩波新書. 

Duff, P. (2012). Second language socialization. In A. Duranti, E. Ochs & B. Schieffelin (Eds.), Handbook of language socialization (pp. 564-586). Wiley-Blackwell.