『科学者という仕事』
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今僕は『科学者という仕事
』という本を読んでいる。
模倣から創造は生まれる
朝永振一郎
私の自然科学研究の経験は、すべてのことに近道のないことを教える。一つ一つの積み重ねをたゆまず、飽きることなくやっていく、それが最も確実な方法であり、それが最も速やかに目的に達する途であると私は信じている。
『運・鈍・根』
あえて鈍に徹して、失敗を恐れないことが科学者には必要。でも僕はもともと鈍だからちょうどいいや。
あのアインシュタインも『確固たるものであろうと自分で確信するようなものは何もなく、そもそも正しい方向に進んでいるかさえ定かではない』と言っている。つまり、誰でもこれが正しい方向だ!正しい生き方だ!なんて言える人はいないんじゃないか。確信はなくても、人はある方向を選んで、それが正しい途であることを信じて進んでいかなきゃいけないんじゃないだろうか。
「自己本位」であること。それが科学者には求められる。自分の頭で考え、自分の意思で行動するということだ。
しかしそれはとても恐怖を伴う。果たして自分の行動は正しいのか、もし間違っていても誰もが助けてはくれないのだ。
しかし決して付和雷同せず、自分の意思を信じるべきだ。他者からの評価や批判は衝動的なものだから、そんなあやふやなものに左右されず、自分自身の価値観で自分自身を正当にかつ冷静に評価するのだ。
人は群れたがる。他人と同じことをすることで、自分で考える手間が省けるからだ。そして自分がそのような行動をとった責任を他の誰かに転嫁することが出来るからだ。特に日本人にはそのような風潮がある。
しかし科学者を目指すならば、いや、真に後悔のない人生を歩みたいならば、自分のことは自分で考えて、そして考えた通りに行動しなければならない。冷静になって自分を客観視して自分を評価し、自分の行動の責任は全て自分で負わなければならない。人間は自己承認欲求により、他者から認めてもらいたい生き物だが、その為に自分の意思を抑圧してはいけない。自分の意思のもとに行動しその結果他人に認めてもらうんだってぐらいの気概が必要だ。
人生において重要なのは、『何をするか』よりも『何をしないか』なのかもしれない。人の一生なんて非常に短い。その中で達成出来ることなんて限られている。
本当に成し遂げたいことを自分の価値観に従ってちゃんと見極めたら、己の心を奪い、それへ向かう道を妨げるもの全てを退けなければならない。
そして心のそこからそれに没頭するのだ。これは今話題の稲盛和夫さんの『生きる意味』にも書いてあった。寝ても覚めても、自分が今取り組んでいるものに集中、没頭する、それが大きなことを成し遂げる秘訣だと。
でもそうすると、生活におけるバランス、則ち家庭だとか交友だとか健康だとかいう面を疎かにして結局不幸せな結果になってしまうのではということだ。
そのことについてはまたこれからも考え続けていかなければならない。もし本気で考えた結果、僕が生命化学の分野で大きな発見をするのが一番の人生の目的であり、それが良好な家庭を築くことよりより自分にとって価値のあることだと考えるならば、僕は幸せな家庭を築くことを二の次にしなきゃいけない。その時は、実験室に籠っているときや凄い発見をした時に幸せを噛み締めて、家庭でのいざこざには目を瞑らなければならないだろう。仕方ない、これは代償なのだと。
しかしもし僕が生活の他の面も重要だ、大切だと結論したのであれば僕は自分が研究だけに没頭することを諦め、うまくバランスをとることも考えなければならない。休日は家族と一緒にどこかに出掛けたり、軽い運動をしたりしなければならないのだ。そしてその時間の分他の科学者に遅れをとることを嘆いてもいけない。
このように人間は24時間何してるときも充実した状況を作り出すのは無理なんじゃないか。だから自分がこうありたいと思ってそうしている時間にはその幸せを噛み締め、その代償として生じている時間にはぐっと堪える、それが必要なのかも知れない。
誠
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『誠』
これから僕が胸に刻み込んで生きていく一文字だ
この一文字は、人が生きていく上で一番重要なものだと僕は思う
自分に対して誠実であること
他者に対して誠実であること
これに基づき、行動すれば決して誤ることはない
自分で決めたことを貫き通すこと
他者を幸せにするために自分から何かしてあげること
他者に嘘をつかないこと
過ちを犯したとき、素直に反省し謝ること
これらすべてがこの『誠』という一文字から導かれることである。
僕は今まで、自分の中に確固たるものが無くてふらふらしてた。
でもこれからはこの『誠』に基づいて全ての行動をしてゆこう。
2010/2/16


