纏向遺跡と箸墓古墳をめぐって1回目。
石上神社から黒塚古墳で2回目。
今回、足を痛めてリタイアした前回のリベンジマッチ。
柳本駅から長岳寺へいったん戻り
境内で世界平和を祈って鐘を打つ。←はは、嘘。
行燈山古墳が果たして崇神天皇陵であるかは別として
古墳前期の前方後円墳と推定され、丘陵先端部を切り取るかたちで、
墳丘長242mは、全国16位。
周濠部は三段に区切られ、周囲の古墳濠と合わせて灌漑用に整えられているが
これは江戸期の修造にて原形については不明とのこと。
同じく渋谷向山古墳が景行天皇陵だと断定できないが、
行燈山古墳とほぼ同時期の築造で墳長300m、全国8位だが
同時期の前方後円墳としては第一位。柳本古墳群の盟主である。
初期大和朝廷の大王墓であろう。
<余談>GWで遊歩道を行き交う人もかなり多くいたが、
中に古墳目当ての人もちらり、ほらり。ちょっと嬉しい。
周辺では田植えの準備が始まっていて、
田に種まきした苗箱が並び、隅に
伊射奈岐神社のお札と神饌が供してあった。
行燈山古墳を過ぎると三輪山が流麗な姿を見せ、
新緑を目深に纏(まと)うその瑞々しさにしばしことばを忘れる。
山の辺の道は、三輪山の裾野をうねるように昇り
檜原神社に至る。
檜原神社・元伊勢は、かつて崇神天皇の代に疫病にて
多くの国の民が死に絶えようとしたとき、宮中に二神を祭る
ことが原因と考え、天照大神を遷座したと言われるところ。
鳥居は大神(おおみわ)神社と同じく三鳥居である。
ガイドさんに聞くと、「はい、三鳥居はこの二神社にしかございません」
と誇らしげだった。
興味は尽きぬが、歩みを速めて狭井(さい)神社へと急ぐ。
なにせ、本日のメインイベント、三輪山登山、もとい、三輪山登拝の
申込み最終刻限が迫っていた。(つづく)