munkのブログ

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日々、こころに浮かぶ
よしなし事を
そこはかとなく書くつづると
健康に良い

かな?

連日の40℃越え

野良仕事は不可。ならば避暑地に行くしかない。

美術館ではアンドリュー・ワイエス展が。これは行くしかない。

 

ワイエスが向ける他者への眼差しにこころが動く。

身近な人への、荒涼たる自然への、些末な日常への愛着が

かえって傷ついたものがもつべき生きる証しを求める

待ったなしの希求の裸形を思わずにはいられない。

 

ワイエスは何を求めていたのか

オレは何をみさせられているのか。

 

光と影、具象と抽象、白と黒、直線と有形の曲線、

あらゆるコントラストをもてあそぶ企みを表現者の宿命と受け入れつつ

自ら求めるのは表現主義を越える何ものかであると

透徹した視線を放ち続ける。

 

出会った一つの作品。

圧倒的な遠近法の描写、このパースペクティブにみえる

日常への慈しみ、見えないことの本来性、

オレはこの境地にいついたることができるというのか。

 

こころが静かにあるべきところに

おさまることが何よりも

お前には必要だと言われた気がした。

 

 

昨日は、もうひとつの鈴木正三顕彰会が主催する正三忌法要

が行われた。献茶の儀がいつもの年になく丁寧に行われ、しっとりと

雨を帯びた境内の静けさの中で亭主の所作の美しさに見蕩れながら

正三の遺徳にしばし思いをはせた。

 

主催の会長より千葉県八街(やちまた)市から来られたN氏

を紹介された。台風接近の最中、遠路はるばる正三の故郷まで

お越しいただいたことに感謝の意を伝えた。

千葉県八街市は、鈴木家が家康関東移封に伴い移り住んだ知行地

のあった場所だ。簡単な挨拶と名刺交換したあと現地に残る

正三関連の史跡のはなしができた。加えて、近いうちに

関東へ取材旅行に行く予定ありとも伝えた。

 

昨年、正三の命日6月25日を日本記念日協会に「正三忌」

として登録したことが報告された。事業に協賛した個人

団体には返礼の記念品が贈られているが、特注の記念切手が

いただけたらともっとうれしかったのにとちょっと心残り。

 

記念講演は、恒例のT氏。『鈴木正三全集(上・下』の共著者

である。昨年は鈴木正三・重成をNHK大河ドラマに

というテーマで大いに聴衆を沸かせた。今回は正三の人間味を

うかがわせる事例を紹介する中、歴史資料を読み解く手法の一端を

披露され、もしかしたら通説が覆るかもしれない可能性にも言及。

刺激的だった。現代人の常識や社会通念をそのまま持ち込んで

歴史を云々するのは愚かであるが、史料の行間に潜む違和感は

大切に読み込むべきだと痛感した。いままで何となく感じていた

史料中のモヤモヤの仔細を手繰り寄せてみたいと思った。

 

学芸会で正三劇を上演する小学校の校長と担任も同席した。今年は

『豊臣兄弟』ならぬ『鈴木兄弟』で大河の向こうを張ってはどうか

という結論に至って境内を後にした。

トリプル台風の襲来で今後雨続きが予想されるため

昨日、予定を繰り上げて田んぼの中干しをおわり、アト(排水口)

を締めた。

それに先立ち、ケイ酸カリ施肥のため田に入って撒き始めたが

期待に反して軟弱な土壌に足を取られ、したたか泥田に転倒。顔面着地

こそまぬがれたものの、そのためか今日まで疲れが残った。

 

めずらしくto do listは閑散としており、終日雨予報をいいことに

久しぶりに何もしなくてもいい日を楽しむ。

 

散歩がてら傘を片手に近くのcaféへ。

たまたま小中高の先輩がいて、しばし四方山話を楽しむ。

帰り際「のってくかい?」と言われる。

帰路もプチwalkのつもりだったが、親切を無にするのも

気が引けたので素直に同乗した。

 

しなければならないことがないわけではないが、

今日は、何もしないと決めたのだからむやみに色気は出さぬ。

 

連日の睡眠不足も地味に祟っているようで、BGMをかけて

椅子に腰を下ろすといつしかうたた寝をしていることに気づく。

 

昼過ぎ、ふと目を覚ますと少し体が軽くなっているような気がした。

特段、夢をみたわけではないが、ふと

漱石の『夢十夜』を再読してみようかという気分になった。

 

こんな夢をみた…で始まる2,3頁の掌編を一話読み終わっては

ぼーっとして、うとうと。

前に読んだ記憶はすっかりなくしていて、すべて

初めて読むような気になるから不思議なものだ。