誕生(0歳)
桜舞い散る季節に千ンコ丸出しの状態でオレが爆誕。当然ながらこの頃の記憶は全くない。
YouTubeで当時のCM見ると全員髪型がキモいし、キムタクが弟役をバカヤロウ!とか言って殴ったり(しかもまあまあ強打)してて、文化の違いを感じる。
幼少期
じいちゃんの家にスーファミの麻雀ゲームが2本あった。一本は脱衣麻雀のヤツ。オレがやっても全然勝てなくて、じいちゃんに代わってもらって勝つのだが、いざ脱衣シーンになるとオレは素直に興奮して「オホ〜~~~〜〜〜〜ン❤️」とかいって吠えている一方で、じいちゃんは何となく気まずそうに黙っていた。子供心ながら「もしかしてエッチなヤツというのは取り扱い注意なんじゃないか!?」と思い始める。
このじいちゃん、ノリは軽いんだけど性に関してはかなりの硬派ジジイだった。なので当然エッチなシーンではだんまりとして孫の様子を眺めていたわけだが、そしたらじゃあなんで脱衣麻雀のソフト買ったんだよという話になってくる。孫と脱衣麻雀やるか?普通。孫と脱衣麻雀をやり、いざ山場である脱衣シーンになったところで気まずそうな雰囲気を出すことで、性が取り扱い注意であることを遠回しに伝える高度な性教育だったのだろうか?その方針は果たして本当に硬派なのだろうか?
ほんでもう一本あったソフトが「極」という、ほんとに麻雀だけやるやつ。
これはオホ~~ン要素もないので自分で操作してたんだけど、何せルールがわからない。よくわからないので出てくる「ポン」と「チー」の文字をひたすら押していくゲームと化していた。なんかたまに自分が切ったタイミングで怖いオッサンのボイスで「ハネマン」などと訳のわからないことを言われる。裸単騎になっていざ絵が揃ったと思えば毎度のように「役無」という赤字が出てきて、なんだこれもあがれないヤツなのか、よくわかんねー!と思いながらやっていた。
ほいでオレのオヤジはというとこの頃仕事しながらめちゃくちゃ麻雀を打っていて、怪しいマンションとかに出入りしていたらしい。こうして書いていて思うが、幼少期から周りに麻雀がありすぎており、オレが麻雀にハマってしまうのは時間の問題だったのかも知れない。
小4くらい
急に思いついてサンタさんにプレステの「麻雀巌流島」というゲームをもらったが、結局ルールもよくわからずに挫折。なんでサンタにこんなもん頼んだのかわからん。
しかしサンタに麻雀ゲーム頼むっちゅうことは、裏を返せばすでに頭の片隅に麻雀が存在しているということでもある。既にかなり危険な状態である。
高2
クラスでケータイの麻雀ゲームが流行った。ここでついに「リーチ」を習得してしまう。隣のクラスでは牌を使った麻雀もやっていたが多分みんなよくわかっておらず、すぐに消えていった。まだ、麻雀のスイッチが入っていない状態。部活で汗を流したり彼女ができたりして、至極健全な高校生活を謳歌した。
大学時代前半
そんなこんなで大学は東京の親元を離れ仙台へ。最初の半年くらいはバンドやったりして麻雀もやったけど、別に麻雀ってそんなおもろいか?くらいのもんだった。しかし夏休み明けにその後の運命を変える最悪のサークルに出会ってしまう。
授業終わりにキャンパスをフラフラしてたら「熱気球部」が遅めの新歓をやるとか言って勧誘活動をしており、小僧、タダ酒飲ましてやるよ!とか言って勧誘されてホイホイついていった。熱気球部ってなんやねんという感じなのだがこのサークル実はこの大学の「三大飲みサー」の一つであり、とんでもないアホがいっぱいいてとんでもない飲まされ方をしてサイコーになり、オレの生きる場所はここだ!!となって即入部。
入部して1ヶ月くらいだったろうか?飲み潰れて部室で寝てたら、夜中に「オイ!麻雀するぞ」とか言って先輩に起こされた。全然意味わからなかった上に点3という今までやったことない高レート(笑)だったけど言われるがままやってみることにした。
ある局オレはマンズの形でテンパイ。これはをツモれば多分高そうだなと思いながら数巡後にをツモ。裏ドラとかもペロッとめくっちゃったりして、なんかよくわからないが8000オールとかいう莫大な点棒を獲得した。お、お、おおおオレはもしかして麻雀めちゃくちゃ強いのでは!!??と武者震いをしていると対面の同期のヤツがなんか言ってくる。「お前待ちわかってねーのかよw」
は??いやわかったからあがってんだろ!!なんかリーチ後に切ってるじゃんとかよくわかんないこと言ってたがなんて待ちになってるわけがない。以外に待ちがあるわけないだろ!!負け惜しみはやめろやボケがと言って完全論破して、なんやかんやで3kくらい勝ってしまった。うおおおおおこのゲームおもれ~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!
ここでついにオレの中の麻雀が爆発してしまった。これが早かったのか遅かったのかはわからないが、どういう道を歩むにせよいずれこうなる運命だったとしか思えない。おわりです。
この熱気球部は大学の構内に24時間出入り自由の部室があった。だから授業が終わったらとりあえず部室に行く。すると大抵誰かがいるので、麻雀したり、ギターを弾いたりタバコ吸ったりマンガ読んだりする。ほんで夕方になったら人がワラワラ集まってきて、爆裂飲酒大会が始まる。
部室にはビールケースの上に1枚ゴザを敷いただけのクソ硬い寝床があり、オレ等の飲みつぶれた下級生どもはそこに転がされていた。だから飲酒すると95%くらいの確率で部室で目が覚める。ほんで部室の外の水道でひとしきりGEROを吐き、授業は3限からでいいや…とか言ってダラダラしていると昼頃また上級生がやってきて、おい、麻雀するぞ!!とか言って麻雀をし、夕方になり酒を飲み…以下無限ループである。
そして困ったことにオレたちの移動手段はチャリまたは原チャだった(酒を飲んだら運転しないのは当たり前だが、当時はアレがアレだった)。だから終電も始発もクソもない。
夜中の3時に家で寝てたら「ロン!!(麻雀するぞの意)」の電話がかかってくることなどザラで、もうとにかく24時間遊べる体制が構築されてしまっていたため毎日28時間遊び、当然、大学には行かなくなる。在籍者の7割ほどが留年している本当に終わっているサークルだった。
一応熱気球部と名乗っているので気球の活動もやっていた。初めてオレが気球に乗った朝は雪が降っていた。雪よりも早い速度で気球が降下していくとき、気球の中からは雪が舞い上がっていくように見える。これはとても幻想的な光景で、ス、スゲーーーーッ!!となる。それはそれとしてその日も前日に爆裂飲酒しており、オレは猛烈な二日酔いだった。スゲーーーーッとなりながらも気球の揺れで段々気持ち悪くなっていき、こりゃダメだ、出るわ、となり、その2秒後には上空100mの気球の上からGEROがTAKE OFFしていた。幻想的な景色の中に混じるその不純物は雪の3倍の速度でFALL DOWNしていき、見知らぬ田んぼに無事着地。オレはそのGERO一発でめちゃくちゃ胃が爽快になったし、同乗してる先輩たちはみんなゲラゲラ笑っていて全員が幸せになる史上最高のGEROだった。田んぼは田んぼで素晴らしい肥料を得ることができ、さぞかしうまい米が出来たことだろう。
麻雀楽しい、飲酒楽しい、ついでに気球も少しだけ楽しいでオレの生活は一気にバラ色になった。そんなタコス青年があと残している課題といったら童貞の卒業くらいのもんである。しかし19歳のクリスマスの日に彼女にフラれたのが最後の一押しとなり、マジ女と遊ぶのとかくだらな、女と遊ぶより麻雀してた方が100億倍おもろいわとなり、サークルの部室にこもる生活に拍車がかかってしまった。まあでもオレ顔も悪くないし、別にどうにかなんだろと思ってひたすら麻雀に勤しんだ結果、ピッカピカの童貞のまま大学を卒業することとなり、23歳の時に親父と二人でドライブしてたら何の前触れもなく「お前って童貞じゃないよな?w」と冗談交じりに童貞か否かの確認をされ、チュッ、生まれてきてご・め・ん♡になった。
多分続く