多発性肝嚢胞の開窓術の後、腹水がなかなか治まらず、2週間位お腹からたくさんの管とパックをぶら下げてました。

痛みはほとんど感じなかったのですが、毎日午後〜夕方になると38℃を超える発熱ショボーン

ロキソニンを飲む繰り返しでした。


腹水が治まり、お腹の管が取れてからも発熱が続き、ある意味元気なんだけど退院出来ない状態が続き、ペットの犬猫会いたくて会いたくて、家族に病院にクルマで来る時に載せてきて欲しいと頼んだほどです。(もちろん連れてきてはくれませんでした)


途中個室に移され、差額料金が気になって「早く大部屋に帰りたい」と繰り返していましたが、治療の都合で個室だから、差額は発生しないと聞いて安心しました。

実際には大部屋に移っても一人ぼっちだったんだけど……。

たまたま患者さんが少ないタイミングだったようで、その分看護師さん達と仲良くなりました爆笑


主治医の先生に「熱が出た時にロキソニン飲んでいるだけなら、薬をもらって退院したい」と懇願して、GW明けに退院させてもらいました。


2週間位で職場復帰するつもりが、退院後の自宅療養含めて、2ヶ月も会社を休んでしまいました。








手術前日は、特にやることも無く病院でボーッとしていたのですが、何とケータイが反応しない!!


当時はガラケーだったのですが、ケータイが無いと家族とも連絡取れないガーンと言うことで、主治医の先生に外出許可をもらって、近くのケータイショップへ。

無事に交換して頂きました。


そして、家族に対する説明。

頼みの母は膝のお皿の骨折で動けなかったし

父は、自分の弟(私の叔父)の胃がんの手術当日でダメ、仕方なく静岡に住んでいる弟に頼み込んで都内の病院まで来てもらったところ、父も叔父の無事を確認後、説明を聴いておきたいと来てくれました。


自分では見慣れていたCTの画像も、初めて見る家族には衝撃的だったみたい……お腹の中にぶどうブドウのように嚢胞がたくさんあるからね〜。


手術当日は、朝9時に手術室へ。

腹腔鏡下での開窓術は、嚢胞が多過ぎたせいか、時間が掛かり、手術室を出たのは午後8時でした。


手術室から出た私には、たくさんの袋と管が付いていて、溢れ出るほどの腹水を、看護師さん達が入れ替わり立ち替わり回収してはパックを空にしてくれてました。

これ、大部屋だと周りに迷惑を掛けて大変!と思ったら、何と四人部屋なのに私一人、が退院までずーっと続いたので、他の患者さんに迷惑を掛けることはありませんでした。


毎日38℃以上の高熱が続き、やる気満々で持ち込んだゲーム機には、触る気力すらありませんでした。




手術を受ける病院での診察から帰宅後、母と2人で外食に出掛けました。

帰りにイオンで買い物をして、駐車場を歩いていた時、母が車止めにつまづいて転倒、顔と膝を思い切り打ってしまいましたガーン


すぐに病院に連れて行って、診察してもらったところ、膝のお皿が割れてるとのこと……。

松葉杖を借りて、母の不自由な日々が始まりました。母の介護は父に頼み、仕事に出掛けていました。


そして、次の日。

会社にから営業に出かけて打ち合わせの最中に、東日本大震災が発生しました。

お客様は鉄道関連の会社だったので、打ち合わせは中止、お客様の会社を出ました。


地下鉄の駅の出口から近いお客様だったのでコートも持たずに出かけたのですが、会社にもどれなくなり、寒さに耐えられずユニクロに行ってみましたが、閉店してる🥲

ドン・キホーテも……。仕方なく使い捨てカイロを大量に貼り付けてしのぎ、その後、何とか開いていたスポーツ店でダウンコートを買うことが出来ました。


私の両親は東北出身なので、電話が繋がらないなか福島の叔母にようやく繋がり確認が取れました。

当日は帰れず、ネットでビジネスホテルを探しまくってようやく取れた所に一泊しました。


入院した病院の系列病院が東北にもあり、こんな状態で、被災地支援で病院の先生や看護師さん達も私なんかの手術どころではないのでは?と思い、手術までの日々を過ごし、思い切って病院へ電話してみました。


手術延期、と言われるかな?と思っていましたが、何と予定通り手術して下さると言われ、手術前々日の3月29日に入院しました。