昨日の午後のTVは、能登半島で起きた地震のニュースで持ち切りでした。
被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
そんなTVニュースの中で、頻繁に『すず…、すず…』と地名が繰り返されるのを聞いて、そういえば子供の頃に家族旅行で能登半島へ行ったなぁ。。。と思い出しまして(˘◡˘)
1979年4月28日、大阪駅から夜行急行「きたぐに」に乗って出発。
当時は大阪駅の中に自由席の待機場所が設けられ、発車の数時間前から大行列が出来ておりました。
(たぶん多客期だけの対応だったと思いますが)
大阪駅11番ホームからの発車。
去年買った時刻表復刻版1978年10月号に載っているのが、ちょうどこの時の列車ダイヤですね。
大阪駅から5時間ほどで金沢駅に到着。
満員のボックスシートで5時間を過ごした後、夜中の3時過ぎに乗り換えという過酷な行程。
こんなハードスケジュールを組んだのは誰だ~!?(`Д´)
モチロンたけりんだ~!(; ̄ー ̄ゞ
そして3時49分発の普通列車に乗り換えて輪島駅へ。
途中の能登三井駅でこんな写真を撮ったということは、列車の行き違いでもあったのかな?
やがて7時16分に輪島駅へ到着したら・・・
朝市を見学していました(・∀・)
早朝から賑わっていたんですね~(´▽`*)
まだまだ地方に活気があった時代です。
その後はバスに乗って、能登半島を東へ。
途中で降りたここはどこだろ?
曽々木海岸という所でした。
そこからどういうルートを辿ったのか、写真がないので覚えていませんが、珠洲駅に到着したようです。
珠洲駅からは急行「能登路12号」に乗車して金沢駅へ。
ヘッドマークも付いていて、今から見ると立派な編成ですね(゚◇゚)
子供の頃からこんな写真を撮っていたとは・・・(^_^;
さっきの輪島駅もそうですが、この珠洲駅も今は道の駅になっていて、列車が走っていた当時の施設の一部が保存されているそうです。
“ザ・国鉄型ディーゼル急行”のキハ58ですね。
列車のヘッドマークに描かれていた、沿線屈指の名勝「見附島」が車窓から確認出来ました!(゚∀゚)
金沢駅に到着後は兼六園へ行ったようですが、あまり覚えていません。
地平ホーム時代の金沢駅。
上野行きの特急「はくたか」は、今では考えられない12両編成でした。
そして大阪への帰路は特急「雷鳥30号」に乗車。
583系に乗りたくて、あえて選んだのだと思います(〃ω〃)
食堂車で夕食を食べたはずなんですが、車内の写真はこれだけなのが残念。。。
ということで、今で言う「0泊2日の弾丸ツアー」だった、44年前の能登半島旅行の様子を、駆け足でご紹介しました(°◡°)
いつか機会を作って、レンタカーでじっくりと輪島駅や珠洲駅の跡を訪問したいですね!(*’▽’)ノ