能登半島へ行った44年前の黄金週間 | たけりんの旅と酒とホニャララと・・・

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鉄道や飛行機、旅行の話題をメインにしているものの、
他にも雑多なテーマを織り交ぜていて、
ネタに統一性がありませんが、
よろしければお付き合い下さいませ!

昨日の午後のTVは、能登半島で起きた地震のニュースで持ち切りでした。

被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。

 

そんなTVニュースの中で、頻繁に『すず…、すず…』と地名が繰り返されるのを聞いて、そういえば子供の頃に家族旅行で能登半島へ行ったなぁ。。。と思い出しまして(˘◡˘)

 

 

 

1979年4月28日、大阪駅から夜行急行「きたぐに」に乗って出発。

 

当時は大阪駅の中に自由席の待機場所が設けられ、発車の数時間前から大行列が出来ておりました。

(たぶん多客期だけの対応だったと思いますが)

 

 

 

大阪駅11番ホームからの発車。

 

 

 

去年買った時刻表復刻版1978年10月号に載っているのが、ちょうどこの時の列車ダイヤですね。

 

 

 

大阪駅から5時間ほどで金沢駅に到着。

 

 

 

満員のボックスシートで5時間を過ごした後、夜中の3時過ぎに乗り換えという過酷な行程。

 

こんなハードスケジュールを組んだのは誰だ~!?(`Д´)

モチロンたけりんだ~!(; ̄ー ̄ゞ

 

 

 

そして3時49分発の普通列車に乗り換えて輪島駅へ。

 

 

 

途中の能登三井駅でこんな写真を撮ったということは、列車の行き違いでもあったのかな?

 

 

 

やがて7時16分に輪島駅へ到着したら・・・

 

 

 

朝市を見学していました(・∀・)

 

 

 

早朝から賑わっていたんですね~(´▽`*)

 

まだまだ地方に活気があった時代です。

 

 

 

その後はバスに乗って、能登半島を東へ。

 

途中で降りたここはどこだろ?

 

 

 

曽々木海岸という所でした。

 

 

 

そこからどういうルートを辿ったのか、写真がないので覚えていませんが、珠洲駅に到着したようです。

 

 

 

珠洲駅からは急行「能登路12号」に乗車して金沢駅へ。

 

 

 

ヘッドマークも付いていて、今から見ると立派な編成ですね(゚◇゚)

 

 

 

子供の頃からこんな写真を撮っていたとは・・・(^_^;

 

 

 

さっきの輪島駅もそうですが、この珠洲駅も今は道の駅になっていて、列車が走っていた当時の施設の一部が保存されているそうです。

 

 

 

“ザ・国鉄型ディーゼル急行”のキハ58ですね。

 

 

 

列車のヘッドマークに描かれていた、沿線屈指の名勝「見附島」が車窓から確認出来ました!(゚∀゚)

 

 

 

金沢駅に到着後は兼六園へ行ったようですが、あまり覚えていません。

 

 

 

地平ホーム時代の金沢駅。

 

 

 

上野行きの特急「はくたか」は、今では考えられない12両編成でした。

 

 

 

そして大阪への帰路は特急「雷鳥30号」に乗車。

 

 

 

583系に乗りたくて、あえて選んだのだと思います(〃ω〃)

 

 

 

食堂車で夕食を食べたはずなんですが、車内の写真はこれだけなのが残念。。。

 

ということで、今で言う「0泊2日の弾丸ツアー」だった、44年前の能登半島旅行の様子を、駆け足でご紹介しました(°◡°)

 

いつか機会を作って、レンタカーでじっくりと輪島駅や珠洲駅の跡を訪問したいですね!(*’▽’)ノ