3月11日、近所の仙台市若林区役所の献花台に献花に行ってきました。
この献花台を見るだけで胸にこみ上げるものがありました。
昨年よりも人の数は少なかったですが、それでも数十人はいたでしょうか。
2時46分の黙とう。合掌。
あちこちから涙で鼻をすする音が。。。
1分間の間に、2年前のこと、亡くなった友人のことを思いました。。。
その後、沿岸部の町・荒浜へ。
荒浜には新たに観音像が建立されてました。
実は前日にも仕事帰りここを訪れていたのですが、この写真はそのときに撮ったものです。
右端にちらっと石碑が写ってますが、そこには荒浜で犠牲となった方の名前が刻まれていました。
年齢も刻まれていたのですが、お年寄りが多い中に、ところどころに2歳とか4歳とかあって、むごいというか、かわいそうすぎるというか。。。
荒浜の風景の一部です。
遠くに、櫛の歯の抜けたような松並木が見えますが、以前はもっとこんもりとした松林がありました。
以前はこのあたりから福島との県境あたりまで数十キロにわたって、延々と続く松の防潮林がありましたが、どこも今はこんな風です。
松林なんて5年10年で再生できるものではないですから、再びあの松林が見られるようになるまでには50年100年とかかるでしょう。つまり自分が生きているうちにはもう見れないということです。
寂しい限りですがそれが現実です。
荒浜小学校にはこんな垂れ幕がありました。
この荒浜小学校は、内陸部の学校と併合されて閉校が決まってます。
嬉しいことに、荒浜への入り口の交差点角にセブンイレブンが復活してました。
仮設の建物ですが、それでも、震災前は荒浜のランドマーク的存在だったセブンイレブンの復活はなんだかすごく嬉しくて、少しだけ以前の荒浜が戻ってきたような気分になりました。
一軒のコンビニがこんなにいとおしく思ったことは今までないですよ^^;
これは震災直後のセブンイレブン跡の写真です。
土台しか残ってなかったんです。。。
このセブンイレブン前のガソリンスタンドはきれいに撤去されてました。
震災直後はこんなでした。。。
復興は進んでないと言いつつも、この2年間にいろいろと変わっているんですね。
荒浜の海水浴場だった場所から望む海です。
2年前のあの日、こんな穏やかな海から巨大な津波が襲ってきたんですね。。。
この献花台を見るだけで胸にこみ上げるものがありました。
昨年よりも人の数は少なかったですが、それでも数十人はいたでしょうか。
2時46分の黙とう。合掌。
あちこちから涙で鼻をすする音が。。。
1分間の間に、2年前のこと、亡くなった友人のことを思いました。。。
その後、沿岸部の町・荒浜へ。
荒浜には新たに観音像が建立されてました。
実は前日にも仕事帰りここを訪れていたのですが、この写真はそのときに撮ったものです。
右端にちらっと石碑が写ってますが、そこには荒浜で犠牲となった方の名前が刻まれていました。
年齢も刻まれていたのですが、お年寄りが多い中に、ところどころに2歳とか4歳とかあって、むごいというか、かわいそうすぎるというか。。。
荒浜の風景の一部です。
遠くに、櫛の歯の抜けたような松並木が見えますが、以前はもっとこんもりとした松林がありました。
以前はこのあたりから福島との県境あたりまで数十キロにわたって、延々と続く松の防潮林がありましたが、どこも今はこんな風です。
松林なんて5年10年で再生できるものではないですから、再びあの松林が見られるようになるまでには50年100年とかかるでしょう。つまり自分が生きているうちにはもう見れないということです。
寂しい限りですがそれが現実です。
荒浜小学校にはこんな垂れ幕がありました。
この荒浜小学校は、内陸部の学校と併合されて閉校が決まってます。
嬉しいことに、荒浜への入り口の交差点角にセブンイレブンが復活してました。
仮設の建物ですが、それでも、震災前は荒浜のランドマーク的存在だったセブンイレブンの復活はなんだかすごく嬉しくて、少しだけ以前の荒浜が戻ってきたような気分になりました。
一軒のコンビニがこんなにいとおしく思ったことは今までないですよ^^;
これは震災直後のセブンイレブン跡の写真です。
土台しか残ってなかったんです。。。
このセブンイレブン前のガソリンスタンドはきれいに撤去されてました。
震災直後はこんなでした。。。
復興は進んでないと言いつつも、この2年間にいろいろと変わっているんですね。
荒浜の海水浴場だった場所から望む海です。
2年前のあの日、こんな穏やかな海から巨大な津波が襲ってきたんですね。。。






















