2014年3月11日、午後2時46分、仙台市若林区役所で献花をし黙とうしてきました。

あの日、2万人近くの人がほんの一瞬でお亡くなりになりました。

ただただご冥福を祈るばかりです。


その後、花の種を入れた風船を飛ばす追悼イベントが荒浜であると聞いてたので、また荒浜へ行ってきました。

そのイベントの様子です。





前回の記事でも荒浜のことを書きましたが、たまたまYoutubeで、荒浜の震災前と後を比べた車載映像を見つけたので転用させていただきます。

震災前の映像、すごく懐かしく感じました。



この時期になると、思い出す曲があります。
震災直後の4月、5月ごろ、地元FM局でよく流れてた曲です。


以前記事に書いたような気もしますが、気仙沼出身、気仙沼在住のアーティスト・熊谷育美さんが、震災の前日に書き上げた曲だそうです(恐ろしいくらいの偶然です)。

あの頃、復興関係の仕事で津波の被災地域に行った帰りとかに、ふとカーラジオからこの曲が流れると、思わず涙がこぼれたもんです^^;


今でもこの曲聴くと、あの時見たもの、感じたものが蘇るようで、ウルッときそうになります(苦笑)


今日の3月11日、電気がついて、暖房があって、ご飯も食べれて、お風呂も入れて、余震がなくて、それだけでも十分幸せだと感じております。
今年もまた3月11日がめぐってきました。

3年前のあの日以来、一年の節目が1月1日ではなくて3月11日のような気がします。

もう3年。。。早いですねぇ。

震災当日と前日、その後の数日間のことは、今でもまるで昨日のことのように鮮明に覚えています。
あの時は3年後なんて想像すらできなかったし、それよりも明日明後日はどうなるんだろう、と不安でいっぱいでした。

戦争を体験されたお年寄りが当時のことをまるで昨日のことのように記憶してることがよくありますが、311の記憶も、被災した多くの人にとっていつまでも昨日の出来事のように記憶されているのではないでしょうか。
震災の記憶とは、永遠に昨日の出来事なのかもしれません。

さて先日、311を前に、仕事帰りに仙台市沿岸部の荒浜に立ち寄ってみました。
何枚か今の様子を写真に収めてきたのでアップします。

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ボランティアの詰所のような小屋の掲示板に、津波に襲われる荒浜の写真が貼ってありました。
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この写真に写ってる荒浜小学校の今です。
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荒浜小学校は残念ながら内陸部の小学校と合併となり廃校となりますが、校舎は避難場所として残されるそうです。


震災直後に撮影した写真と同じ場所を撮影してみました。
2011年3月


そして今
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荒浜から内陸側へ3キロほどのところに災害公営住宅が建設されていました。
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ちなみに仮設住宅ですが、私の家から半径5キロ圏内に、私の知ってる限りで5か所ほどあるのですが、震災から3年たった今でも、ひとつとして撤去されたところはありません。


宮城県では3月11日を条例で『みやぎ鎮魂の日』と制定されました。
今日は各地で追悼の式典があるようです。
私も近くの区役所に献花に行ってきます。