大きな立場に立てば立つほど、人より上に立てば立つほど、人間は日々みずからを見直し、謙虚となり、ますます頭を低くしていく必要があるのです
そうであってこそ、「器(うつわ)」と言われるのです。決して小成してはいけません。小さなものに甘んじてはいけません
これを言葉に換えて言うとすれば、自己顕示欲との闘いということです
自己顕示欲とは、みずからをよく見せたいという思いです。「よくやっている」と人から明らかに見られたいという思いです。「あなたは素晴らしい」と人から言われたいという思いです。この思いとの闘いです
しかし、成功を求めることは、人間の本質でもあります。成功したいという野心のなかには、清いものも確かにあります
成功したいという野心がなければ、文化や文明は開花しなかったでしょう
こうしたものが開けてきた根底には、成功したいという野心、あるいは、より高い理想を求める人間の心があったのです。これと自己顕示欲とは非常にかかわりが大きいと思います
自己顕示欲は、結局、「他人が下がることが、自分が相対的に上がることにつながる」という発想なのです
「自分が偉くなってうれしい」という気持ちは、「他人を見下ろすことができる」という気持ちにつながっているのです
この裏返しが、他人が自分よりよくなると、自分がそれだけ惨(みじ)めになり、価値を奪われたと感じる、そうした感じ方です
結局、自と他がここで切り離されていて、しかも、単に切り離されているのみならず、他の幸せを願わない気持ちがあるということなのです
自己顕示欲でぎらぎらとしている人の本質はそうです。他人の幸せを、ほんとうは思っていないのです
より多くの愛を奪いたいという気持ちであり、精神的なる吸血鬼の姿であるということです
本来、愛を与えていくのが修行の道です。愛を奪っていくことが道ではありません。道端にバラの花を植えていくことがよいのであり、バラの花を手折っていくことが信仰者の姿ではないのです
自己顕示欲の強い人は、道端に植わっている花を次々と手折って、これを自分の胸にさし、自分を飾ろうとしているということです
しかし、本来の正しい心に即した生き方とは、花の咲いていない所に種をまき、あるいは球根を植え、花を育てていくということです。それがほんとうの姿です
種をまいた人、球根を植えた人が通り過ぎていったあとに、花は咲いていきます
種をまいた人、球根を植えた人は、その花を自分で見ることはできないかもしれません。のちの人人々がその花を見ることとなるのです
しかし、それでも黙々と種をまきつづけ、黙々と球根を植えつづけることこそが、信仰に生きる人たちのほんとうの姿なのです。ここには自己顕示欲がないのです
どうか、自分は花を摘み取って自分を飾ろうとしているのか、あるいは、のちの人々のために花の種をまいているのか、この点をしかと考えてみていただきたいと思います
~~~~~~~~~~~
Merry Christmas
みなさまよいクリスマスをお過ごしでしょうか?
普段は冬に花を見る機会はあまりありませんが、クリスマスのこの時期は、綺麗に飾られたあちこちで、美しい花を目にする事が多いと思いますので、今回の内容はイメージしやすかったのではないでしょうか
この視点を忘れた時には、人の心がわからず、自分のことしか考えない、自分中心的な人になってしまいますよね
体の調子が悪い時も、物事を悲観的に見たり、マイナスのことに強く反応したりしがちなので、特に注意しないといけません

どんな時も明るく前向きで、人のいい所を見られて、自分に向けられた悪しき言葉や行為にも、心を揺らすことなく、相手を許し包み込んでいける…そんな人になりたいものだな~とつくづく思います
小さなことにつまずいて落ち込んでいる私ですが、苦手としている「自分の理想像をしっかり描く」という事に、今度こそ挑戦して、描いた通りの未来を、必ず実現していきたいと思います
みなさまも素晴らしい未来を
Minako

そうであってこそ、「器(うつわ)」と言われるのです。決して小成してはいけません。小さなものに甘んじてはいけません

これを言葉に換えて言うとすれば、自己顕示欲との闘いということです

自己顕示欲とは、みずからをよく見せたいという思いです。「よくやっている」と人から明らかに見られたいという思いです。「あなたは素晴らしい」と人から言われたいという思いです。この思いとの闘いです

しかし、成功を求めることは、人間の本質でもあります。成功したいという野心のなかには、清いものも確かにあります

成功したいという野心がなければ、文化や文明は開花しなかったでしょう

こうしたものが開けてきた根底には、成功したいという野心、あるいは、より高い理想を求める人間の心があったのです。これと自己顕示欲とは非常にかかわりが大きいと思います

自己顕示欲は、結局、「他人が下がることが、自分が相対的に上がることにつながる」という発想なのです

「自分が偉くなってうれしい」という気持ちは、「他人を見下ろすことができる」という気持ちにつながっているのです

この裏返しが、他人が自分よりよくなると、自分がそれだけ惨(みじ)めになり、価値を奪われたと感じる、そうした感じ方です

結局、自と他がここで切り離されていて、しかも、単に切り離されているのみならず、他の幸せを願わない気持ちがあるということなのです

自己顕示欲でぎらぎらとしている人の本質はそうです。他人の幸せを、ほんとうは思っていないのです

より多くの愛を奪いたいという気持ちであり、精神的なる吸血鬼の姿であるということです

本来、愛を与えていくのが修行の道です。愛を奪っていくことが道ではありません。道端にバラの花を植えていくことがよいのであり、バラの花を手折っていくことが信仰者の姿ではないのです

自己顕示欲の強い人は、道端に植わっている花を次々と手折って、これを自分の胸にさし、自分を飾ろうとしているということです

しかし、本来の正しい心に即した生き方とは、花の咲いていない所に種をまき、あるいは球根を植え、花を育てていくということです。それがほんとうの姿です

種をまいた人、球根を植えた人が通り過ぎていったあとに、花は咲いていきます

種をまいた人、球根を植えた人は、その花を自分で見ることはできないかもしれません。のちの人人々がその花を見ることとなるのです

しかし、それでも黙々と種をまきつづけ、黙々と球根を植えつづけることこそが、信仰に生きる人たちのほんとうの姿なのです。ここには自己顕示欲がないのです

どうか、自分は花を摘み取って自分を飾ろうとしているのか、あるいは、のちの人々のために花の種をまいているのか、この点をしかと考えてみていただきたいと思います

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Merry Christmas

みなさまよいクリスマスをお過ごしでしょうか?

普段は冬に花を見る機会はあまりありませんが、クリスマスのこの時期は、綺麗に飾られたあちこちで、美しい花を目にする事が多いと思いますので、今回の内容はイメージしやすかったのではないでしょうか

この視点を忘れた時には、人の心がわからず、自分のことしか考えない、自分中心的な人になってしまいますよね

体の調子が悪い時も、物事を悲観的に見たり、マイナスのことに強く反応したりしがちなので、特に注意しないといけません

どんな時も明るく前向きで、人のいい所を見られて、自分に向けられた悪しき言葉や行為にも、心を揺らすことなく、相手を許し包み込んでいける…そんな人になりたいものだな~とつくづく思います

小さなことにつまずいて落ち込んでいる私ですが、苦手としている「自分の理想像をしっかり描く」という事に、今度こそ挑戦して、描いた通りの未来を、必ず実現していきたいと思います

みなさまも素晴らしい未来を
Minako