「人と人とを結びつけているものは、基本的には『利害』である」
つまり、ビジネスではお互いになんらかのメリットがあるから相手とつながっているのです。
ところが、これが一緒に暮らす人生のパートナーとなると、話が違ってきます。
人生のパートナーは一言でいえば長期にわたる「全人格的な関係」であり「運命共同体」のようなものです。
「利害云々」だけの次元の関係ではありません。
人間関係において、人生のパートナーとのつき合いほど難しく、大変なものはないと思っています。
なぜなら、一緒に暮らしていくためには、自分をさらけ出していかざるを得ないし、相手がさらけ出したものをすべて受け入れていかなくてはならないからです。
そのためにも、お互いに相手がどういう人間なのかを深く理解し合うことが欠かせません。
そして、人生のパートナーの場合、目の前の出来事だけを理解し合えばいいわけではありません。相手が背負っている過去の時間と、その人が生まれ育った土地までをも含めて理解すること。
もっと言えば、相手の親を含めた先祖が生きてきた時間や空間をも理解すること。つまり、相手の「宇宙」(「宇」は空間、「宙」は時間を表し、この2文字で空間的、時間的広がりを意味する)を理解し、引き受けるということです。
誰かと一緒に暮らすということは、それくらいの覚悟がいることなのです。
ニコニコと上っ面だけのつき合いではすまされないのが、人生のパートナーという存在なのです。
そう考えると、仕事のほうがはるかに楽です。
仕事にはオープンにされた明確なルールがたくさんあります。
たとえば、労働法規だったり、就業規則だったり、経営計画だったり。
仕事は、それらのルールに従って丁寧にゲームをしていけばいいのです。
しかも、たいていの場合、常時半分ぐらいの力でやるべきことをやっていれば、あまり文句も言われない。
また、嫌な上司や同僚がいても、自分か相手かどちらかが部署が替われば、とりあえず、つき合いはそれで終わります。
結局、仕事は自分の一部だけを表に出しているだけでも、そこそこにやっていけるものなのです。
一方の人生のパートナーとのつき合いは、そうはいかない。
もっと全人格的なつき合いです。
相手のことをきちんと考えて行動する必要があります。
お互いの関係を縛ってくれるルールもないし、打算もないので、まさしく人間対人間の裸のつき合い。
仕事の相手よりもはるかに気を遣います。
でもそれだけに、2人のあいだでしっかりとした関係を築くことができれば、人生の苦楽をすべて共にすることができます。
だから多くの人は結婚をするのだと思います。
また、結婚はしなくても、心から満足し合える濃密で深いきずなを結ぶことができるのです。