「恋は盲目」と言います。
実際、人間は不思議なもので、恋をしている相手に対してはとてつもなく忍耐強く、そして、寛容になれます。
たとえば、待ち合わせで30分も待たされたら、たいていは腹を立ててさっさと立ち去ります。
ところが、これが恋しい人が相手だと、30分どころか、場合によっては1時間でも2時間でも平気で待てたりします。
それだけ「恋」は、すべての人間にとって「がんばりどき」だということでしょう。
人間が動物である以上、やはり次の世代を残すということが一番大事な仕事です。
恋とは、あけすけに言えば、「この人と一緒になって子どもをつくりたい」ということが基本です。
もちろん、それを目的としない多様な恋も世の中にはたくさんありますが。
『なんでも見てやろう』の著者・小田実さんは、人間のことを「チョボチョボ」、つまり、とくに立派な人がいるわけでもなければ、とくにアホな人がいるわけでもなく、みんな結局は「タダの人」なのだとよく言われています。
その互いに「チョボチョボ」の人間でも「ここが一番大事」というときはわかっている。
それが恋。
その恋を成就させるためには、たとえ理不尽な目に遭わされようと必死に耐え、相手に対して寛容になれるわけです。
19世紀のドイツの哲学者・ニーチェ(1844〜1900)は、「神は死んだ」という言葉に象徴されるように、それまでのヨーロッパを支配してきたキリスト教的価値観を否定し、より自由な発想で物事を考えた人です。
ニーチェは、その思想で世界を大きく変えた1人と言っていいでしょう。
それほど偉大な哲学者ですが、恋愛ではひどく奥手で、彼の伝記を読むと、ことごとく失恋しています。
いろいろな女性に恋心を抱くのですが、ほとんどすべてが片思いで終わっている様子です。
ひたすら毒舌で、皮肉っぽい哲学者ですから、女性にはあまりモテなかったのかもしれません。
その彼が、
「人間は恋をしているときには、ほかのいかなるときよりも、じっとよく耐える。つまり、すべてのことを甘受するのである」
という言葉を残しているのだから面白いものです。
恋をするものの、結局、耐えられず失敗に終わった……をくり返しての、反省の言葉なのかもしれません。
恋愛は、人間が我慢強くなれるまたとないチャンスです。
もっと言えば、人間力を鍛えられるチャンスです。
それを活かさない手はありません。
恋を成就させ、さらに人間としてステップアップする成長の機会にしようと思ったら、ニーチェの言葉を教訓としてしっかり胸に刻みつけておくに限ります。
一方、恋愛が成就し、さらには結婚へと進み、10年、20年、30年……と経っていくと、恋だの愛だのといった世界ではなくなっていきがちです。
相手への激しい思いも、いつしか穏やかなものとなっていきます。そうすると、相手への忍耐、寛容さも、残念ながら薄れていく……。
さあ、そうなったとき、どうすればいのか。
私は、「恋」の時期を過ぎたカップルを結びつけるものは、何よりも一緒にいることの「面白さ」だと考えています。
「この人と一緒にいて楽しい」
と思えること。その際、圧倒的に重要になってくるのが「会話」の力です。
人間は基本的に「言葉」でコミュニケーションをとる動物ですから、話していて楽しくないと、一緒にいるのが苦痛になります。
以前、知り合いのフランス人から、面白いことを教えてもらいました。
「最高の花嫁・花婿修業は、会話学校に行くことだ」
つまり、「言葉」がいかに大事かということでしょう。
どう話せば、どのような表現を使えば、パートナーを楽しませることができるのか、2人の会話を弾ませることができるのか。
そうしたことを、結婚前にしっかり鍛えておけ、というのです。
もう1つ、フランスの友人から教えてもらったのが、「カップルがケンカをしたら、星(ミシュランの星つきのレストラン)を食べに行け」という言葉。
たしかに、おいしいものを食べれば、怒っているのがバカらしくなってきます。
気がつけば楽しく会話をして、仲直りをしている自分たちがいます。
さすが、恋愛大国、フランス。
カップルがいい関係を築くためには何が大切なのかを、しっかりと本質面で理解しています。