「子どもが成長したら、巣から追い出す」のが動物の自然な姿
人間は動物です。
私はそのことを忘れてはいけないと思っています。
ところが、人間はほかの動物に比べるとやたらと大脳が発達しすぎてしまった。
そのため、本来の動物としての本能ではあり得ないような行動に出ることがしばしばあります。
たとえば、子育てがいい例です。
たいていの動物では、親は子どもがある程度成長したら、巣から追い出すという行動に出ます。巣立ちです。
親が成人した子どもといつまでも同じ巣に住み、行動を共にしている動物はほとんどいないのではないでしょうか。
ところが、人間の場合、そうしたことが平気で行われています。
とくに、日本ではそうした傾向が強い。
一昔前に「パラサイトシングル」という言葉が流行りました。
「パラサイト」とは、「やどりぎ」のこと。親元に寄生して生きている独身の子どものことです。なかには、それなりの稼ぎがあるのに、親元から離れない子どももいます。
さらに、ここ数年、問題になっているニートや引きこもりの若者たち。
病気などの特殊な事情を除けば、学校にも行かず、就職もバイトもせずに、親に依存して、日々、家に閉じこもっているわけです。
いつまでも巣立てない子ども。
巣立たせない親。
これは動物としてはかなり異常な姿だと思っています。わが子が、大人になるための教育を修了し、読み・書き・ソロバンができるようになったら、平たく言えば、大学を卒業したらその時点で追い出せばいいのです。
それが動物としての人間の自然な姿であり、親たちは諸外国のようにそれを徹底して行なうべきです。
なかには、子どもが巣立てない理由として、経済的な問題を挙げる人がいます。
まだ独立して生活できるだけの収入が得られない、というのです。ならば、友達数人とルームシェアをすればいい。
そうすれば、生活費をそれなりに節約することができます。
実際、欧米の若者のあいだではルームシェアが一般的です。そこで愛を育み結婚に至るカップルも多いと聞きます。
イギリス王室のウイリアム王子とキャサリン妃もまさにそのケースです。
親元から巣立つこともでき、生涯のパートナーも見つかる。
まさに一挙両得ではありませんか。
誰かと一緒に暮らしていても、じつは独り
鎌倉時代の僧侶で、時宗(浄土宗の一派で、念仏を唱えることですべての人が救われると説いた)の開祖である一遍上人(1239〜1289)の、
「生ぜしも独りなり、死するも独りなり、されば人とともに住するも独りなり。そひはつべき人なきゆえなり」
という言葉があります。
人間は生まれるときも独りだし、
死んでいくときも独り。
なので、誰かと一緒に暮らしていても
じつは独り。
なぜなら、死ぬときまで自分と添い果ててくれる人など存在しないから、
という意味です。
一遍は「捨聖」とも呼ばれ、妻子を捨て、定まった住居も持たず、ひたすら全国を遊行し人々に仏の教えを説いてまわった人です。
死ぬ間際には、自分が持っていたすべての経典を焼き捨てたという逸話もあります。
どんなに愛着のあるものであっても、それに執着せず、つねにわが身から離せる覚悟を持って生きた人だと言えます。
さて、一遍の言葉にもあるように、どれほど仲のよいパートナーであっても、愛しいわが子であっても、死ぬときは別々です。一緒には死ねません。
なぜなら、それぞれが独立した存在だからです。
人間とは、そもそも「孤独」な生きものなのです。
そのことを私たちは忘れてはいけないと思います。
そして、子育てにおいても、たとえ血を分けたわが子であっても、自分とは別の自立した存在なのだと強く意識し、ある程度成長したら、家から追い出して、巣立ちをさせる。
それが子どもに対する親の真の愛情だと私は思います。
親はときに、子どもに対して、それくらいの強い思いを持つことが重要だと私は思うのです。