「人間は動物である」
という大前提をつねに忘れないこと。
それが、人間が生きる上で非常に重要だ。
そのことをあらためて思い出させてくれるのが、東京工業大学の本川達雄名誉教授が『生物学的文明論』の中で書かれている「還暦過ぎれば人工生命体」という言葉です。
「人工生命体」とは、つまり、科学技術の力によって生かされている生命体のこと。現代の「老い」とはまさにその状態なのです。
私たちの体は、中年にさしかかったあたりから少しずつ衰えていき、還暦(60歳)を過ぎるころにはかなりガタガタになる人もいます。
野生の世界では、老いた動物は生き残ることが難しくなります。足腰が弱くなれば動きが鈍くなり、ほかの動物の餌になりやすくなり、体力が衰えれば免疫力も低下して、病気にもかかりやすくなります。
ところが、人間の場合、それが当てはまりにくい。つまり、老いが死に直結していないのです。科学技術によって人工的に生き長らえさせることが可能なのです。長寿は、メガネと歯医者のおかげ、という言葉もどこかで聞きました。
しかし、それだけではありません。
以前読んだ本に書いてあった話です。
数万年前のホモサピエンス(現生人類)の骨が出土しました。
推定年齢50歳くらいの、当時としてはかなり高齢のその骨には、歯が1本もなく、しかも、その遺骨の人物は歯がなくなってから、2年くらい生きていたことがわかったと書いてありました。
動物は通常、歯がなくなれば死にます。
なぜなら、食べられなくなるからです。
ところが、この遺骨の人はそうでなかった。ということは、文明以前から、人類は歯を失った高齢者にも食べものを与え、場合によっては、すりつぶして食べさせていたということでしょう。
文明が発達する以前から、本来だったら死んでもおかしくない状況なのに、高齢者は周りの人々によって生かしてもらってきたわけです。
それにしても、なぜホモサピエンスは、歯を失った高齢者を生かしておいたのでしょうか。
そもそも、動物の世界では、人工的に生かされている生きものが存在することは、その種にとって脅威になります。
なぜなら、地球上の限られた資源を、若い世代から奪う存在となってしまうからです。
若い世代には、新しい命を産み育てるという大きな仕事があります。ところが、老いた動物たちに資源を奪われることで生存さえも危うくなり、仕事どころではなくなるからです。その結果、種が存続することも難しくなります。
ところが、ホモサピエンスは
「人工生命体」を生かし続けたのです。
それはなぜか。
現在の通説では、高齢者はいろいろな経験をしているからだと言われています。
たとえば、地鳴りがしたら津波が来るとか、夕焼けの色がおかしいとそれは火山爆発の前兆であるとか。
そういった経験に基づく知恵を、高齢者はたくさん持っています。
その知見は、次の世代を生きる人々にとって大いに役立ちます。だからこそ、歯を失って、自分で食べられなくなった高齢者であっても、周りの人たちは生かそうとした。
これは、現代にもつながる、高齢者の生きる意味だと私は考えます。
つまり、自分の経験や知識を次の世代のために役立てる。そのために自分は何ができるかを考える。
本川先生は冒頭で紹介した著者で、そのためのすばらしい2つの方法を提案してくださっています。
1つが、若い人たちが、次の世代を産み育てられる環境を整えてあげること。
もう1つが、若い人たちが子育てに専念できるように、健康も含めて、自分たちのことは自分たちで面倒を見て、若い世代の足手まといにならないようにすること。
さまざまな経験を蓄積してきた高齢世代は、言ってみれば、生きる知恵の宝庫です。
それらを若い世代のために出し惜しみせずに授けていく。そうやって人工的に与えられた余生を、若い人たちのために使っていく。
さらに、これだけ医学が進歩し、生活環境が改善されているのです。
自分のことはできるだけ自分で面倒をみる。そうやって若い世代の負担にならないように努める。
還暦を過ぎたら、そうした生き方にシフトチェンジしてみるのも1つの選択肢ではないでしょうか。
そのときに、何よりも大切なのが健康です。
仮にお金がなくても、健康であれば社会で働くことができます(日本はこれから労働力が大幅に不足する時代に入ります。毎年50万人から60万人が不足すると予測されているのです)。
つまり、老後対策の最たるものは、お金を貯めることではなく健康であることであって、健康でありさえすれば、これからの日本では日々の糧を稼ぐことはけっして難しいことではないのです。