みなさんの健康法は、なんですか?
心がけていることはいくつかあります。
1つは、「自己管理」をきちんとしていくこと。
毎朝起きたとき、自分が「I'm ready」の状態でいられるためには、どういう生活をすればいいのかを知り、それを日々、実践する。
つまり、自分のことをよく知り、それに合わせて自分をコントロールしていくわけです。
当たり前のことすぎて「健康法」とは呼べないかもしれませんが、私自身が毎朝、元気に出社できるのは、この自己管理のおかげかなと思っています。
それともう1つが、錆びないように体と頭をよく「使う」こと。
モノは、使わないとどんどん錆びていきます。ボロボロになります。
たとえば、家もそうです。
どれほど豪華な家であっても、人が住まなくなり、まったく手入れがされないまま放置されたら、あっという間に朽ちていきます。
モノは使ってこそ、いい状態を維持していけるのです。
これは、人間の体と頭も同じです。
「使うこと」の大切さについて、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)が次の名言を残しています。
「鉄が使用せずして錆び、水がくさり、また寒中に凍るように、才能も用いずしては損なわれる」
つまり、使わなければ、どんな才能も損なわれてしまう、ということ。
レオナルド・ダ・ヴィンチと言えば、美術のみならず、解剖学や飛行原理の研究、兵器開発、流体力学、築城……など、さまざまな分野で才能を示したルネサンス期の万能の天才です。
その人の言葉だと思うとなおのこと、背筋が伸びる思いがします。
体や頭を「使う」と言うと、現代の日本人は、ジムに通ったり、脳トレをしたり、何か特別なことをやらなければと考える人が少なくないようです。
ただ、そんな必要はないというのが私の考えです。普通の生活を送ることこそが、自然に頭と体を使うことになるのです。
たとえば、定年制を廃止して、ずっと勤務を続ければ毎日それなりの分量の仕事をこなし、人と会話をしなければなりません。要するに自分が望むと望まないとにかかわらず、フル回転で頭と体を使うことになるわけです。
勤めていない場合でも、家事をしたり、人に会っておしゃべりをしたり、地域の活動をしたり、本を読んだり、旅に出たり……と、日々、積極的に行動していれば、自然と頭を使います。
体についても同じです。
出勤したり、買い物に行ったり、家事をしたり、人に会ったり……という普通の生活をしていれば、それなりに体を使っているものです。
日本の場合、大企業の役員ともなると、移動はたいてい社用車になりますが、これほどのムダはないと私は思っています。ます、人件費のムダ。
社用車は使われないときは、会社の車庫に並べられています。そのあいだ、多くの運転手は将棋をさしたり、囲碁を打ったりして休んでいる。
ステイタスシンボルを維持するために、人間を何人も遊ばせているのです。
これほどのムダはありません。
もしも社用車を使わず、徒歩や公共交通機関で移動すれば、かなり歩けます。
ということは、社用車を使う役員が、わざわざ運動不足解消のためにジムに行く必要もなくなります。社用車というムダが、役員のジム通いというさらなるムダを招いているのです。
また、自分の足腰を使って通勤していれば、自分の体のことをよりよく知ることができます。そして、年をとれば、だんだん通勤もしんどくなるときが来ます。
これが辞めどきです。
自分の体をしっかりと使っていくことで、仕事での自分の引き際もきちんと見極められる。
だからこそ私は、普通に生活をしながら、自分の体を使っていくということをとても大切にしています。しかも、年齢に合わせた形でです。
体を動かすと言っても、無茶をすれば、逆に健康を害しかねないのです。
動物である人間にとって、自然な形で頭と体を使っていくのが一番いい。
不自然なことをやるのが、一番いけないと私は思っています。
わが国は超高齢社会に突入しています。
超高齢社会をマネージするポイントは平均寿命ではなく、健康寿命の延伸にあります。
平均寿命マイナス健康寿命が介護ですから健康寿命を延ばすことは介護負担を軽減するという大きなメリットがあります。
では、どうすれば健康寿命を延ばせるのでしょう。
多くの医療関係者は、異口同音に
「働くこと」だと答えます。
そうであれば、定年制を廃止して、アングロサクソン社会のように年齢フリーの労働慣行をつくっていくことが、今、わが国に求められている最大の政策課題の1つと言ってもけっして過言ではありません。
労働力が不足している現状では、定年制を廃止しても若者の仕事を奪うことはありません。