『菜根譚』という、中国・明代(14〜17世紀)に書かれた人生訓の本があります。
現実的な処世術や、「なるほど」と思わせる人生の楽しみ方などが述べられており、読むととても面白い。
ちなみに、著者は洪自誠という人ですが、彼がどういう人だったかは、よくわかっていないようです。
さて、この本の中で、自戒を込めて、私が気に入っている言葉があります。
それは、
「花は半開を看、酒は微酔に飲む。
この中に大いに佳趣あり」
意味は、花は半分開いたころを鑑賞し、お酒はほろ酔い程度でやめておく。
これくらいが、花や酒を楽しむ最上の方法なのだ、ということ。
まさにその通りだと思いませんか?
花はすべて開いてしまったら、見た目にもやや興ざめです。第一、そうなると、香りも飛んでしまいます。
そうではなくて、まだ半開きの、「これから大きく美しく咲き誇るのだ」という状態のときが一番見応えがあります。
お酒も同じです。
「ちょっと酔ってきたかな〜」と思うくらいがやめどき。
それ以上飲んでグデングデンになってしまえば、ロクなことがありません。
酔っぱらって周りの人に迷惑をかけたり、翌日、二日酔いで使いものにならなくなってしまったり。
もちろん、そんな深酒を常習にしていたら、体も壊します。
逆に、ほろ酔い程度の酒は、人生において大いに興趣があります。
たとえば、少しお酒が入ると、人はリラックスし、ついつい本音も出やすくなります。多少のお酒をたしなみながらの語らいは、お互いをより深く知るいい機会になります。そこからお互い大いに学び合うこともできます(もちろん、お互いある程度はお酒が飲めるということが前提ですが)。
「そうは言っても、なかなか『ほろ酔い』でやめることができない」と言う人がいます。
でも、あえて私が言いたいのは、そこでストップできてこそ「自立した大人」ではないか、ということです。
世界中で、日本ほど飲酒に寛容な社会はないのではないでしょうか。
イスラム圏のように飲酒が禁止されている国もありますし、欧米でもお酒を飲まない人はたくさんいます。
「多少はお酒が飲めるぐらいでないと仕事はできないぞ」などという上司がいる先進国はわが国ぐらいのものです。
とにかく、わが国は飲酒に甘い国であるという事実は、しっかりと認識する必要があります。
たとえば、グデングデンに酔っぱらって酒の席でハメをはずさしても、仕事がある程度できれば、たいがいが無罪放免です。
終電近くになると、酔っ払いが駅員やほかの乗客に絡む姿を目にすることがしばしばあります。
また、酔っぱらって駅や路上で眠りこけている人も見かけます。道端で平気で嘔吐する人もいます。
海外では、こうした光景は滅多に目にしません。
日本以外の国は、ある程度の教育レベルを持つ人であれば、自らをコントロールしながらお酒を飲んでいます。
それができない人は、それなりのレベルの人か、アルコール依存症と見なされてしまうことが多いようです。
日本のように、仕事さえできれば、酒癖の悪さが許される社会は、世界中を見渡してもかなり異例です。
自立した大人とは、自分を律することができる人です。
つまり、自分をコントロールできる人。
自分を見失うほどお酒を飲むのは、「自立した大人」としてはいかがなものかと思うのです。
お酒は飲みすぎれば毒になり、ほどほどであれば薬にもなるとよく言われます。
私自身、お酒は大好きです。
お酒は本当にすばらしいと思います。
だからこそ、お酒とは上手につき合っていきたい。
それゆえに、自分をしっかりとコントロールして、微酔くらいでストップする。
そうやって、お酒とのいいつき合いをこれからも続けていきたいと思っています。