ヌワンジェの家は生彩のないコンクリート群の最上階の一室にある。最上階といっても四階建ての四階だが、それでも少しぐらい遠くなら見渡せる。何の変哲もない広場と道。数えるぐらいしかない木々、どれも枯れている。濁った空とぼやけた地平線。心がすさんでしまうような景色。そんな殺風景な外観に同調するかのように部屋の中もまた殺風景で、艶やかな色を帯びたものは何一つなかった。
オーディルはパブリロを従え部屋の中に入ると、真っ先に窓辺へかけ寄った。
窓から見える風景も完璧なモノトーンを呈していた。正面には別のコンクリート住居がこちらを睨み返し、その角とオーバーラップして背後の風景が見える。遠方には山高帽のような三角や孔雀のような扇形、そびえ立つ長方形などの建物が一つの群れをなして固まっている。
オーディルはそれを指差して、「あれは何なの?」と尋ねた。
「あれがさっき話した、永遠の富を手にした者達の街さ。皆がめざす栄光の街。ここから見えるのはほんの一部にすぎないけど・・・」ヌワンジェは下唇を噛みしめ、じっと遠くを見つめて一つ一つ言葉を選びながら言った。
「ぼくをあそこへ連れてってよ。どんな処なのか知りたい…。」
「いいよ。歩いても一時間ぐらいで行けるから。」
三人は再びコンクリート群から外れて未舗装の道路を栄光の街へと向かった。
**
<RIQUEZA>。
装飾豊かな金属製のアーチに金色の文字で、街の入口に埋め込まれている門…。アーチの下を潜るとすぐに、硬いアスファルトで丁寧に舗装された道が幅広く続き、中央分離帯と両脇には大きな街路樹が植えられている。その道路を幾台もの車が行きかい、引っ切りなしにエンジン音を轟かせている。
三人は地に脚が付いていない面持ちで、白や青、レンガ色に敷き詰められた歩道を歩いていた。両脇には大きく壮大な屋敷がそびえ、それらはすべて違う色彩と形態を持っている。屋敷のまわりには様々な模様と素材で造られた柵が張り巡らされ、緑の芝生が屋敷のすぐ近くまで続いている。
「どうだい、オーディル。凄いだろう。」ヌワンジェは静かな口調で言った。「車も道も、家も庭も、ここにある全てが超一流なんだ。ここに棲んでる人もね。みんな大金持ちで毎日が地上天国なのさ。」
「うん、凄いや。」
オーディルの口から出た言葉はそれだけだった。口を半開きにポカーンと見惚れて、周りをキョロキョロしながら歩を進めている。周囲に映る初めてのものに心を奪われ、ヌワンジェの言葉も半ば上の空で聞いていた。
「僕はここに棲んでる人達と同じ暮らしがしたいんだ。こんなに素晴らしい世界で日々を過ごしてみたいんだよ。ここに棲んでいる人に出来て、僕にできない訳ないからね。」
「あの家を見てよ。」オーディルは行く手に一際目立つ屋敷を示した。
ブルーの鉄柵に包まれた敷地内に、良く手入れされた芝生、白とグレーのタイルに赤い屋根をもつ車庫、ちょうど良い配置に植えられた木々、そして様々な装飾が施された窓と分厚く塗り固められた真っ白い壁、ギリシャ神話を彷彿させる立体感溢れる支柱、さりげなく置かれた鉢植と花々、鱗の形をした尖った赤い屋根、テラスには白く丸いテーブルと椅子。
贅沢の髄が集められた佇まいに心を奪われた三人が呆然と街路に立ち尽くしていると、いきなり車庫のシャッターが開き、中にある三台のうち、真っ赤なオープンカーがエンジン音と共に出てきた。渋い低音が静閑な空間に轟き、三人のすぐ前を横切っていく。
オーディルもパブリロもその艶やかさに魅了され、思わずオーディルの口から「綺麗だなぁ。」と洩れた。それから彼はヌワンジェの方に体をひねって言った。
「とっても綺麗だね。夕日のように真っ赤な色をしてたよ。・・・毎日、一生懸命勉強するとヌワンジェもここに住めるんだね!あんな車に乗れるんだね!」
「そうさ。・・・でも、そう簡単にはいかないよ。もっともっと努力しないと。」
「そうか・・・。」オーディルは胸を踊らせながら言った。「ぼくにも出来るかな。ぼくもあの車に乗れるかな。」
「頑張れば君にもできるさ。」
「おいらはどう?おいらだって、あの車に乗りたいよ。」終始無関心だったパブリロも調子はずれな声を出した。
「パブリロも乗れると思うよ。」ヌワンジェは優しく言った。「・・・三人で一緒に頑張ってみようよ、もうすぐTYPEⅢ認定試験もあるからさ。とりあえず、それに向けて明日から勉強しようよ。」
ヌワンジェの誘いに二人とも心を動かされ何かやれそうな気がしてきた。
三人は来る時よりも胸を踊らせてコンクリート群へと帰っていった。
**
その夜、オーディルは夢を見た。また同じ夢を・・・。
樹々も草も、森にある全てが黄金色で、高くそびえる黄金の門。昔、出会ったことのあるような老人。真っ白く長い髭を蓄えた彼がぼくに呼びかける。そして、ぼくがその門に入ろうとしたら・・・。
“また、あの夢をみた。いつも一歩踏み出すと消えてしまう、あの夢を。”
目を覚ましたオーディルは意識の薄れた中である種の幻想と不安を覚えた。成し遂げられない焦燥感に襲われていた。しかし、意識がはっきりしてくるにつれて、その恐怖も消失していった。
“今日から新しい生活が始まる。スクールと勉強という真新しい環境がぼくを待っている。”
オーディルは心を弾ませて灰色のスクールへと向かった。
この日を境に、心を置き去りにした機械としての思考への追求が始まる。オーディルとパブリロにとって初めての戦いが…、感性から知性への移行が…、開始される。
**