――タレスはオリーブ油精製で大儲けをした――

 

 前7世紀末にミレトスで生まれ、前6世紀の初めに没した哲学者タレスは、「七賢人」の1人であり、賢人と呼ばれた最初の人とされている。彼が神話や占術から解放されて自然学(フィジオロギア)を創始し、世界を構成する物質について合理的に語った最初のギリシア人であったことは、商工業や海外貿易の発展を基礎としてギリシア初の民主制を確立したミレトスに生まれたことと無関係ではあるまい。つまり、彼が「万物は水である」と言ったとき、その言葉は世界の起源として神話を語るものではなく、現にある世界の構成を語っていたのである。そして、このように、彼が合理的に世界を捉えようとした思考には、商工業と貿易の都市ミレトスの文化が大きく影響していると思われる。

 そうした視点から、彼は自然哲学者であると同時に、政治的にも重要な役割を果たしていた。例えば、リュディア王クロイソスがミレトス人に使者を送って同盟を申し入れたとき、彼はそれを断るようにミレトスの重鎮たちを説得した。こうして、後にキュロスがクロイソスに勝利を得たときに、タレスの意見に従ったミレトスは救われることになったのである。

それでも、彼は国事から距離を置いて一人孤独に天文学や幾何学や哲学にふける生活をしていた。エジプト人から学んだ幾何学を発展させ、直角三角形を円(半円)に内接させ、直径に対する円周角は直角であという定理を導き出したのである。このA、B、Cが円周上の相異なる3点で、線分ACが直径であるとき、角ABCが直角であるという定理は、彼の名を取って、タレスの定理と呼ばれている。また、タレスがどのような方法でピラミッドの高さを測ったかという話も、ロドスのヒエロニュモスによって伝えられている。それによれば、タレスは幾何学の相似の論理に基づいて、われわれの影がわれわれ自身と同じ長さになる時刻を見計らって、ピラミッドの影の長さを測ってそれが高さであることを示したというのである。

 彼は特に天文学に興味を抱き、太陽の大きさは太陽の軌道円の720分の1であり、それは月の大きさが月の軌道円の720分の1であるのと同じだと最初に言明した人ともいわれる。天文学の研究のために、一晩中星を見つめていたことでも有名であった。あるとき、星を観察するために、老婆を伴って家の外に出たが、溝に落ちて大声で助けを求めたところ、その老婆は「タレスさま。あなたは足下にあるものさえ見ることがおできにならないのに、天上にあるものを知ることができるとお考えになっているのですか」と答えたという話も残されている。

 

           七賢人の1人であるソロンは「万物は水である」と言った

 タレスが、死は生と少しも違うところはないと言っていたので、ある人が「それなら、おまえはどうして死のうとしないのか」と訊ねると、「生きていることと少しも違わないからだ」と答えたという。

 また、ある人たちによれば、彼は結婚しないままで一生を終わり、姉(妹)の子供を養子にしたといわれる。そして、なぜ自分の子供をつくらないのかと訊ねられると、「子供を愛しているからだ」と答えたという。彼の母が無理やり結婚させようとしたとき、タレスは「まだその時期ではない」と答えたが、その後、年頃を過ぎてから、母親がもう一度つよく勧めると「もはやその時期ではない」と断ったという。

 それくらいの変人であるから、アテナイのソロンがタレスを訪ねてミレトスを訪れたとき、ソロンは彼が結婚や子供をつくることを全く考えていないことに驚いたという。おそらくその時、ソロンは結婚を勧めるか、子供をもつことの必要性を説いたのであろうが、タレスは黙っていて、幾日かすると、一人の外国人を使って、10日前にアテナイから来たばかりだが、ちょうどアテナイでは名声のある人物の若い息子が亡くなり、父親に知らせようにもだいぶ前から父親は旅行中で出席しなかったが、アテナイでも考えられる限り最も立派な葬儀だったという話をさせた。その話を聞いたソロンは、もしやと思って恐怖に取り乱して、その若者の名や父親の名を聞き糺すと、自分の息子だと知って茫然自失、自分の頭を打ち、すっかり悲嘆にくれてしまった。タレスは、彼をなだめながら、「これだから私は結婚や子供をもつことをしないのです。あなたほどの人でも、これほど打ちのめされるのですから」と笑って、「でもご安心ください。今の話は事実ではないのです」と言ったという。この悪ふざけにたいして、プルタルコスは、失うのを恐れるあまりに必要なものをもつことを断念する者は異常であり、卑怯であると述べている。

 こうした逸話には、哲学者の機知に感心する一方で、変人ぶりを揶揄する節も窺えるが、当人にしてみれば、人びとの愚かしい忍び笑いと自分の科学的探求心との間で、ときには腹の立つこともあったのではないかと思われる。実際、世間で言われるように、哲学や天文学のような学問は変わり者がやるもので、実生活ではカネの稼ぎ方も知らないのだと見られることも少なくないのである。特にタレスは、変人扱いされるのが嫌いだったようで、金持ちに対しても、金儲けなど簡単なことだと言っていたという。ロジェ=ポル・ドロワの『ギリシア・ローマの奇人たち』には、タレスが世間の人びとに一泡吹かせてやろうと考えた物語が書かれているので、少し長くなるが紹介しておこう。

 「その夜のタレスはいつものように、丘を登っていたが、珍しく星辰の軌道にも、星座の配置にも気を配っていなかった。大股にどしどしと丘を登りながら、計画を立てていた。まずいくつか観測し、計算する必要がある。そんなに時間がかかるわけではない。そうだ、この手がある……。タレスは道のゆきどまりのオリーブ畑を、いつものように数時間もせかせかと歩き回りながら、これなら成功すると確信していた。

 ざる頭のやつらは、おれには金儲けができないと考えている。学問というものは役に立たず、どんな力もなく、何の利益にもならない無用のものと信じこんでいる。やつらにははっきりとした証拠をつきつけてやれ。目もさめるほどの成功をみせつけてやろう。いまにみていろ。

 どこか空気がゆるんで、春の気配が感じられた。それでも、北風はまだ吹きやまない。ほとんど凍てつかんばかりの冷たさだった。畑で働く農夫たちはだれも、今年もオリーブは凶作になると心配している。この数年というものは、実りが少なく、枝についたオリーブの実は小さく、ほとんど乾いていた。オイルを取るには惨めな状態だった。かぐわしい匂いをたて、ねっとりとした馥郁たるオイルを、食事に垂らすぜいたくを味わえた人は、ごくわずかだった。女神アテナはミレトスを見捨てたのだろうか。

 それなのにタレスは、秋の収穫にそなえて、オリーブの圧搾機を借り占め始めた。タレスの人柄を知っている人々は、また突飛なことを思いついたのだろうと思っていた。それでもわけがわからないので、あえて疑問を口にはしなかった。哲学者のタレスが、なぜオリーブの圧搾機などにかかわりをもつのだろうか。いくら考えても、さっぱりわからない。タレスが口を閉ざしていることも、奇妙な説得力を添えていた。タレスは、『叔母を喜ばせるため』と説明したり、『胃痛に効くので』と言ったりしていた。そして近くにある圧搾機を二台、三台、五台、一〇台と借り占めていった。相変わらず、理由は説明しない。早春になったが、オリーブの作柄は三年越しの惨状になると、だれもが確信していた。

 しかしタレスは甥っ子たちを周囲の村にまで送り込んでいた――しかも遠くの村にまで。まだ冬を思わせる肌寒い日もあるというのに、タレスはやがて土地のすべての圧搾機をおさえた。ミレトスからロバに乗って四日かかる村々にいたるまで、タレスが借りていない圧搾機は一台もなかった。費用はたいしたことはなかった。だれも借り占めに気づいていなかった。そしてやがて好天が訪れる。

               ソロンが独占したオリーブ圧搾機

 すばらしい天気だった。まばゆいほどの好天で、いかにも春めいた暖かさだった。生育にふさわしい暑さと乾燥度、十分な湿気、夢にみるほどのオリーブ日和だった。オリーブの木々は、たわわに実をつけた。果実はふっくらと膨らみ、樹液をたっぷりと吸い上げた。作柄に影響するようなことは、何も起きなかった。晩秋になると、神々に感謝したいほどの豊作だった。収穫したオリーブを載せた手押し車は、重さにあえいだ。そして収穫から圧搾までの日は短い。圧搾機の前には、待ち行列ができた。

 タレスは圧搾機を使わせたが、しっかりと金を取った。『こんなすばらしい収穫を無にしたいのかね。数年分のオイルが絞れるぜ。……もちろん分割払いで結構だ。ただし、金か銀の現金払いでお願いしたい。……どうして豊作がわかったというのかね。それは科学の力のおかげさ。星たちのおかげ、計算のおかげさ。……どう計算するかって。それはもちろん秘密さ』」

 このいささか小説仕立ての話は、ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』のタレスの章で触れられているが、その原典はヒエロニュモスの『覚書雑纂』第二巻であるとされている。世間から変人扱いされていたタレスが、意趣返しを計ったことも考えられるが、科学と計算によってオリーブの豊作を見抜き、金儲けに結びつけたという点では、無用と思われていた学問の真価を見事に証明したものともいえるだろう。しかも、その儲けたお金をどうしたのかが最も興味の持たれるところでもあるが、それについては、『ギリシア哲学者列伝』には書かれてはいない。

 当時のギリシアは、現代のように交易=貨幣市場が人間の生活を完全に支配し、自給自足的経済が崩壊していたわけではなかったが、それでも、それなりに商工業や流通市場が発達していた中でオリーブ油やワインといった農産物の輸出で蓄えた財貨を持った大所領(オイコス)経営者が力を持っていたのだろう。タレスは、学問の非実用性と蓄財との無縁性を逆手にとって、オイコス経営者の鼻を明かしたということであろう。

 冒頭にも述べたが、ミレトスは商工業や貿易が盛んな都市だったので、哲学者が商売をすることは格別珍しいことではなかったようだ。プルタルコスも、「タレスも数学者のヒッポクラテスも貿易にたずさわったといわれ、プラトンはエジプトでオリーブ油を売って旅の費用に充てた」と書いているから、哲学者が金儲けをすることは珍しいことではなかったようである。

【参考文献】ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』加来彰俊訳(岩波文庫)

      『プルタルコス』村川堅太郎編(世界古典文学全集23、筑摩書房)

      ロジェ=ポル・ドロワ『ギリシア・ローマの奇人たち』中山元訳(紀伊

      国屋書店)