「ばけばけ」に影響されて。

都営地下鉄曙橋駅から靖国通り沿いをすこし新宿方面に歩いたところにそれはあった。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の旧居跡。新宿区富久町。

その碑は、一部雑草にも隠れ、見逃してしまう。

「ばけばけ」で話題になっているはずだが、足を止める人は誰もいない。

 

八雲はここに1986年から住み、東京帝国大学に教師として通い、日本文化の面影を色濃く残していた隣接していたお寺がなくなると、この地に興味を失い、1902年に西大久保に移り、その2年後1904年に54歳で亡くなっている。

本当に日本ならではの風景・情緒が好きだったようだ。

英語教師として、松江に赴任し、熊本、神戸、と移り住んだのだが、とくに日本の神話の里といってもいい島根・松江を愛していたようだ。

小泉八雲は1950年にギリシャ生まれ、英国・アイルランド、アメリカと転々としている。古事記、アーサー王伝説、ギリシャ神話、ロードオブザリング…島国と言うのは、地の神の伝説が豊富になるのだろうか、日本もギリシャもイギリスも神話がたくある。

八雲は日本で「怪談」などを著した。

耳無芳一、おしどり、お貞のはなし、乳母ざくら、かけひき、鏡と鐘、食人、むじな、ろくろ首、葬られた秘密、雪女、が収められている。日本人なら誰もが、どれかの話に接したことがあるだろう。

 

八雲は最期まで日本語がうまく話せず、同じく最後まで英語が話せなかった妻の「セツ」(本名節子)とは、なぜか深くコミュニケーションができた。妻セツと毎日のように取り交わしたカナ文字のみで埋められた手紙がたくさん残されているらしい。筆まめなのだ。数多く残された書物の原稿も、「9回書き直さなければまともにならない」として完成させていたという。