独立してマーケティングコンサルテイングの仕事をはじめたのは1990年頃だった。

それまでいた会社の創業者「先生」に弟子入りするようなかたちで。

そこで最初にあてがわれたのが江戸城大手門の前に本社を構える水産会社だった。

七つの海を制したといわれた遠洋漁業の会社で、

領土から200海里内での操業は勝手に出来ないという新しい制度が導入されてからは、

日本の国際水産業は獲る漁業から買う漁業に変わり、大幅な事業縮小を余儀なくされた。

社内マーケティング情報メディアの制作の仕事をさせてもらった。

 

マーケティング部部長が言っていた。

隣の銀行、その向こうの商社会社、の人たちは、椅子の後ろにお札を貼っていると。

とくに、そのビルに隣接したあるものに背を向けて座る人は。

 

「将門塚」だ。

 

京都朝廷に向かって反旗を翻した平将門が祀られている。

ひさしぶりに、頭を垂れ、東京の守護を感謝した。

 

その塚を動かしたり、疎かにすると、災いが起こるとされ、

いまでも、その伝説は、大手町の企業たちに影響を与え続けている。

 

彼は京都で処刑され、その首は七条大橋にさらされた。

日本最初の「獄門」刑である。

晒された首は決して腐ることなく、毎夜、自分の胴はどこだ、と唸り続けたという。

そして、あるとき、その首は、そこから東国へと飛び出した。

途中数か所に落ち、東京では、この大手町の将門塚のある地に落ちた。

九段の筑土神社、新宿の筑土八幡神社などにも落ちたとされている。

伝説とはいえすさまじい物語だ。

 

冷静に考えてみてほしい、1000年もの間、日本の中心地で、

怨念が信じられているとは、他に例をみない驚異の話である。

東京の妖怪、怨霊たちをみてきたが、その比ではない、別格中の別格だ。

将門こそ、東京、いや日本最大の妖怪・怨霊といえるだろう。

いや、妖怪・怨霊ではなく神に昇華してしまっている。

将門は、いまでは、江戸・東京の守護神として神田明神に祀られている。