千川通りを左に折れ、伝通院へと続く善光寺坂を上ってゆく。
右手にこじんまりとした山門の善光寺、さらに澤蔵司(たくぞうす)稲荷を過ぎると、
大きな木が道の真ん中に柵に囲われて聳えている。
「善光寺坂のムクノキ」と呼ばれている。
高さ13m、幹回り5m、樹齢400年。
1945年5月の東京大空襲で、上の部分が焼け落ち、下も部分的に炭化している。
なのに、まだ、残った部分から枝が伸び、葉を元気よくつけている。
このムクノキ。
家康の信頼が厚かった伝通院の初代住職廓山(かくざん)上人が植えた。
伝通院は家康の母「於代の方」の遺骸がおさめられ、徳川家の菩提寺となっている。
間もなく廓山のもとに澤蔵司と名乗る修行僧がやってきた。
伝通院の宗派浄土宗の奥義を瞬く間に極め、
廓山の夢にあらわれて「余は千代田城の内の稲荷大明神である」と
正体を明かして去っていった。廓山は伝通院に澤蔵司稲荷を祭った。
以来、人々の伝通院詣でが盛んになったという。
そんな言い伝えがある。
戦火に屈しなかった不死身のムクノキをみていると、
不思議な力を感じなくもない。
