JR御茶ノ水駅の御茶ノ水口から楽器街を南に少し下ったところ。

明治大学リバティタワーがある。

好きだったレトロ感溢れる本館校舎が取り壊され、

創立120周年記念として建てられた新しい明治大学の本館だ。

竣工は2000年(平成12年)。

17階にのぼり、「スカイラウンジ暁」という名前の学食で、

東京の景色を眺めながら、「トルコライス(トルコランチ)」を食べようと、

久々に行ってみた。

 

休業だった。8月から9月は。

掃除のおばちゃんが黙々と手すりを拭いていた。

ホームページで確認してきたのに。

 

まあいい。

目的は、トルコライスというより、東京の眺めだ。

徳川家康の死とともに駿河から江戸にもどってきた家臣たちが住んだことから、

このあたりは神田駿河台と言うわけだが、

武蔵野台地のいちばん東端にある本郷台地の南端になるこの地は、

江戸を見渡すのにちょうどいい場所だった。

明治大学リバティタワーはまさにその地に建っている。

 

眺められたのは、西側だけだった。

東側は学食からしか見れない。

残念。

でも、新宿、池袋、は見えた。

 

また来よう。

 

わたしは勉強をしなかった。

アタマの出来がわるかった、というべきか。

当然、学業成績は悪く、

通信簿はいつも「3」と「4」ばかりだった。

いちばん偏差値が低い普通高校にはいった。

ここまで育ててくれた親にわるいと思い大学も受験した。

どこも入れてくれず、浪人した。

9月。模試を受けたら、偏差値の低い私大の合格率が4%だった。

焦った。

目標もなく、ただのほほんと生きてきた。当然の報いだ。

「試験に出る英単語」「試験に出る英熟語」「山川出版日本史」

を4カ月で丸暗記した。

明治大学と中央大学に合格した。

「六大学」という名にひかれて明治大学を選んだ。

現在は、論文や高校時代の評価をもっと重視しているかもしれないが、

当時の、試験制度の問題点を体現した自分だった。

学食で同級生たちと話した

みんな早稲田大学に入りたかったのに落ちてここにきたと言っていた。

わたしだけだった。まぐれ、というか、山をかけて、入ったのは。

社会の明治大学出身者はそこそこ知られた人もいる。

でも、知性を表に出したり、出身大学を語ったりしている人は、いない。

劣等感を持っているからだ。入れなかった「早慶」に。

目標として「早慶」なんて考えたこともなく、客観的に見れるわたしには、

よくわかる。

 

なんの因果か。

いま、わたしは、明治大学本館から歩いて20分足らずの本郷に住んでいる。