小学校から中学校まで水泳をやっていた。

海パンは最初はノーブランド(というか憶えていない)、中学で速くなってからは「スピード」。

スピードはイギリスのブランドで日本ではミズノがライセンス生産していた。

強い選手はみんな「スピード」の丈の短いピッチピッチのやつだった。

半ケツ見せていた。前もギリギリ隠しているだけという感じだった。

そんなのにあこがれていた。

 

当時、スポーツ用品といえばミズノだった。

ジャージもミズノだった。

ほかにもデサント、ゼット、エスエスケイ、アシックスなどもあった。

関西の会社ばかりだ。

ちなみにアシックスは1970年代までは鬼塚という社名だった。

いまでも陸上競技関連ではオニツカタイガーのブランドで知られている。

関西にスポーツ用品会社が多いのはゴム・革・綿縫製の会社が多かったからのようだ。

いまでこそ、スポーツブランドはアディダス、ナイキ、プーマなどの欧米系のほうが人気だが、

日本のブランドたちもまだまだ元気だ。

 

散歩でよく御茶ノ水から駿河台をくだってゆく。

御茶ノ水橋からまっすぐ下りきった駿河台下交差点から東の靖国通り沿いには、

スポーツ用品店が並んでいる。

70年代から80年代にかけてよくこのあたりをうろついた。

当時はスキー用品の「ヴィクトリア」が一番目立っていた。

いまもあるが、大手量販店「ゼビオ」のグループ会社として残っている。

 

なぜこのあたりにスポーツ用品店が多いのか。

「ミズノ」が理由らしい。明治45年にここに店を開いた。

創業は1906年。創業は大阪。本社は大阪とともにこの地にも東京本社をおいている。

この会社、いかしたメッセージで自己規定し発信している。

創業者水野利八のことばの「ええもんつくんなはれや」、

コーポレート・メッセージの「明日は、きっと、できる。」「REACH BEYOND」

以後、徐々にスポーツ用品店が増え、現在では大小約100店が出店しているという。

 

この街では、学生の頃、わたしは「さかいや」によく通った。

アウトドア用品の店だ。

北アルプスや八ヶ岳にのぼっていた。

いまでは、この街は、アウトドア用品の街にもなっている。