ことしは西南西が恵方とか。

そちらに向かっての徘徊を増やそう。

 

本郷から東京ドームの北を通り、

左に後楽園をみながら西南西方向に歩く。

神田川をわたり、

飯田橋が神田川水路の揚場だった頃から続く木材問屋を何軒か過ぎ、

大久保通りから右にそれて、

神楽坂の一本北側の小路をゆき、すこしづつ牛込台地をのぼってゆく。

たくさんの子供たちが遊ぶ新宿白銀公園を過ぎ、

やがて右手に神社の入口が出てくる。

赤城神社である。

 

鳥居の前で一礼して中へ。

新緑で覆われたきれいな広い石段のさきにモダンな社が出てくる。

建築家の隈研吾がデザインした。

持病の脊柱管狭窄症で最近は太腿から下の血流がよくなく疲れやすい。

ここらがちょうどよい休憩所だ。

 

赤城神社は、鎌倉時代の1300年、

赤城山の麓から江戸牛込に移ってきた大胡彦太郎重治によって創建された。

2010年に三井不動産がこの地を再開発、

地元神楽坂に住み赤城神社の氏子でもある建築家の隈研吾がデザインを申し出、

ガラス張りのモダンなデザインの社殿に生まれ変わり、

後にグッドデザイン賞を受賞している。

厄除けの神様「磐筒雄命」(いわつつおのみこと)と、

女性の願いを叶える神様「赤城姫命」(あかぎひめのみこと)をお祀りしていて、

良縁成就や安産、夫婦円満などのご利益があるとされ、女性がよく訪れる。

境内には学問芸術の神とされる螢雪神社もあり、芸能関係者の参拝も多い。

 

神楽坂あたりはよく徘徊している。

神楽坂一帯は江戸の頃からの物産品の揚場として機能していたため、

問屋、料理屋がたくさんあって、

現代になって、日仏会館設置の影響でフランス、イタリアの料飲店も増え、

和洋文化の融合した情緒豊かな街として人気があり、

料亭、レストランが小路のそこらかしこに存在する。

が、この赤城神社から西側は、そんな気取った店は少なく、

欧米人が住むアパートや集まる場所が目立つ。

 

わたしは、いつもこの小路を通って、早稲田側に出て、

業務スーパーに寄り、

神楽坂本通りを戻って、

スーパーのよしや、その前の激安八百屋に立ち寄り、

食材を補充して、帰ってゆく。