東大というと学生運動と三島由紀夫を思い浮かべてしまう。
60代以上にとって、東大は「エリート」にならない。「闘争」になる。
安田講堂は当時の「闘争」の跡を遺している。
東大のなかをよく歩く。
立ち止まり、まわりを見る。
日本語が聞こえない。中国人しかいない。
数年前まではこんなことはなかった。
文京区立誠志小学校。
前身は福山藩阿部家の藩校。
本郷から西片あたりを校区としている。
そこのことしの新入学生の半分が中国人になった。
誠志小学校、第六中学校、小石川高校、東京大学。
いずれも本郷周りにある。
文京区、いや東京の、エリートコースとされている。
その「入り口」が中国人によって占められたことになる。
民族、国を隔てる山・海がない中国大陸の人々は、
常に、侵略の環境にあり、
もっとも信じられれるのは個人であり、
戦乱を納められる統治者をもとめた。
彼らは、その統治者が敷くシステムよりも、
世界をリードしてきた文明・文化の分厚さを誇りとした。
四方を海に囲まれ、侵略の脅威にさらされない日本が、
まだ小さな集落しかなく自然から収穫することで生きていた頃から。
いま。裕福になったそんな中国の人々の住まいの候補地リストの上位に、
本郷のエリートコースの地がある。
共産党政権がどうなろうと、誇り高き中国の人民が暮らすべき、
安全安心の教養の地として。
2025年4月11日午後。
赤門が開かれていた。
開かれた東大の象徴をみるのは数年ぶりだ。
新入生だろうか、卒業生だろうか、
親御さんたちとともに行列をつくり、門の前で順番に記念撮影をしている。
十数後、この列の半分が中国人になっているのかもしれない。