新宿牛込柳町にあるウチの墓の近くに

「試衛館」の案内が建っている。

近藤勇が代表だった天然理心流の道場である。

土方歳三、沖田総司、永倉新八、斎藤一...。

近藤勇のもとに集まった面々は、のちに京都に出て「新選組」を結成する。

徳川幕府の打倒をめざす尊王攘夷の志士たちを斃すための

人切り集団である。

 

たとえば、斎藤一は、100人以上を切ったと言われている。

人切りが常態化していた戦国時代でもこれほど人を切った者は少ないはずだ。

なぜ試衛館のサムライたちにはできたのか。

天然理心流は、剣術のほか、居合術、棒術、柔術などで構成されている。

つまり、試衛館では剣道というより実戦対応の戦闘術を教えていたようだ。

 

浅田次郎はその著書「一刀斎夢録」で人切りの鉄則を斎藤一にこう言わせている。

一に先手、二に手数、三に逃走。

哲学、剣の型を教える剣術では、人切りはむずかしい。

生きるか死ぬかの現場では、

一撃で急所を突き命を奪わなければならない、

もし奪えなかったらすぐに可能な限りの手数を加え戦闘不能にする、

それでも命をとれなかったら逃走する、ということになる。

新選組も、敵1対味方3、の状況で襲うことを原則としていたという。

人切りを前提とした場合の現実的な方法論といえるだろう。

併せて、斎藤一はこうも言う。

その前に、闘いに勝つためには、準備が大事、と。

 

「たたかい」に触れる度に思い出すことがある。

半世紀前。浜松。高校の同じクラスに、

傷害事件を起こした後に、編入されてきた友達がいた。

彼はよくケンカしていた。

相手によって闘い方を変えていた。

素手とは限らなかった、

ある時は、ヌンチャクを持っていった。

相手の人数が多い時は、腹にさらし布を巻いて、そこに匕首をさして臨んだ。

使うのではなく、勝負に勝つためだ。

多くの場合、それで相手は戦意を失う。

実際の闘いのたいがいは、準備で決まるということだ。

 

彼に。学んだ。