ホンダスーパーカブ。
最初に乗った自動車だ。高校生だった。
町中、あちこちに走っていた。
そんなにスピードは出なかったけど、頑丈だった。
やらまいか またやらまいか やらまいか
ここは神宮外苑の前。
港区青山と青山通り沿い。
ここにホンダの本社がある。
3月末をもって建て替える。
これも乗った。
高校生は原付免許を取るとまずダックスに乗った。
1970年代。
トヨタは、カローラ、セリカ、クラウンの3Cで、
「いつかはクラウン」という価値観を提示し、
日本人から大きな支持を得ていた。
日産は、スカG、ブルSSS、フェアレディZを持ち、
クルマ好きに好かれていた。
ホンダは、ワクワクする会社だった。
現在の大ヒット車Nシリーズの元祖N360を出し、4輪自動車に進出、
さらに、CVCCエンジンを搭載したシビックを出し、アコードを出した。
それまで世の中になかった価値を生み出す会社だった。
わたしの父親はスカイラインに乗り、わたしはシビックを選んだ。
ここは順天堂の裏。
文京区本郷の本郷通り沿い。
ここに本田宗一郎がいた。
浜松から東京に出てきて、ここにあったバイク修理工場に勤めた。
わたしの家も近い。
本田宗一郎の出生地は、わたしのルーツと同じ。
勝手に縁を感じている。
ホンダが日産の救済に動いた。
2社とも「技術」を看板としている点は同じだが、
ホンダは「世の中になかった新価値」を志向する会社だ。
両者は合うのだろうか。
トヨタ、ホンダ、スズキ、ヤマハは浜松が生んだ。
小さな浜松企業が世界の勝ち組になれたのは、
「やらまいか」
標準語でいうと「やろうじゃないか」、
いまでいうとADOの「レディ・トゥ・マイ・ショウ」。
このボトムアップ風土があることが一因といわれている。
関西企業の気取ったトップダウン思考「やってみなはれ」とは真逆だ。
きっと怒られるだろうが...。
浜松は盗人・博徒・やくざを生むアウトローの地だ。
秀吉に反抗した石川五右衛門、
金持ちから盗った日本座衛門、
幕末のやくざ組織をつくった清水次郎長
みんな浜松出身。
浜松に育った者としての実感だが、
たしかに浜松人は、アウトローが多い。
父も、飲む打つ買うで、毎週賭場を開いていた。
難局に際し、
浜松人は権力者に反抗し、静岡人は権力者に頼る、と言われ、
やらまいかの浜松、やめまいかの静岡、とも言われている。
浜松は、
アタマは悪いが、いいリーダーがいればやろうぜと団結しやすい。
いまでもそうなのかはわからない。が。
そんな浜松企業とエリートでかためられた日産が合うだろうか。
みんな「やらまいか」になればいいのだが。