「学問の道」という場所がある。

学問のメッカ湯島聖堂からまっすぐ道なりに北上すると

学問の神様菅原道真を祀った湯島天神に突き当たる。

その湯島天神の男坂と下町の上野御徒町をむすぶ道がそう呼ばれている。

 

これが湯島天神の男坂。何度ものぼった。いまはもうきつい。

学問の道を上野御徒町へとすこしづつ歩いてゆく。

このあたりも毎日のように散歩している。

 

最近、その「学問」というものが、どうもおかしくなってきた。そう思う。

 

忘れるな 五感体験 だけ残る

 

単純に、自分をつくってきたものは何だったか振り返ってみる。

いまもはっきりと記憶に残っている小学生のときだけを思い出してみる。

 

わたしは小学六年生まで一人っ子で鍵っ子だった。

低学年のころはいつも一人だけで遊んでいた。

近くに、親が〝部落〟〝ちょここう〟と呼んでいた、一角があり、

その人たちが、ときどき遊んでくれた。

あるとき、なぜか、その一角の入り口で、腹を殴られ、以来遊ばなくなった。

高学年になると、友達がたくさんできて、遊びに行って過ごしていた。

みんないろいろなことを教えてくれた。

校舎の3階の廊下の東の端からは富士山が見えていた。

運動会のリレーで1番になった。

地元の祭りの絵を描いてみたら褒められて廊下に貼りだされた。

音楽の時間に駅馬車を歌ったら先生が上手じゃないかと言ってくれた。

社会科研究の宿題で、クルマがよく通る通学路で交通量調査をやって、

その結果を模造紙いっぱいに色紙を切り貼りして発表したら、

市から表彰されて、その調査場所に歩道橋が建った。

勉強が好きでなく、成績はずっと中くらいだったのに、児童会会長に選ばれた。

水泳大会で一番になった...。

 

自分をつくってきたのは、

いまもずっと残っているのは、

五感で感じた生の体験だ。

先生に教えてもらったこと、本に書いてあったこと、はほとんど残っていない。

 

程度の差こそあれ、たぶん、みんな、似たようなものではないか。

 

福沢諭吉は「学問のすすめ」で、学びを、知育、体育、徳育と言った。

たぶん、背景にあるのは、孔子の論語だろう。孔子は、徳、才、と言っている。

ただ、孔子は、上に立つ者の心得として説いたのだが、

「学問のすすめ」は、すべての日本人にたいして、人としての心得として、示された。

えらい。

事実、大ベストセラーとなり、日本中の人たちが読んだ。

 

そんな「学問」が、最近、おかしい。

 

まず。知育がおかしい。

学ぶのは、人やコンピュータが整理したこと(=二次情報)ばかりになってきた。

これは、論理を司る左脳ばかりを使うようになったということだ。

AIの浸透がそれを助長している。

現場での五感の体験(=一次情報)から気づき創造し表現する右脳を使わなくなってきたということだ。

「頭がいい」とか「先生」は二次情報が豊富で駆使できる人のことを指すようになった。

実際に、自分をつくってきた、ずっと残っている、五感の体験が、「学問」から外されるようになった。

一次情報は狭く深く、人を動かす。二次情報は浅く広く、人を誤魔化す。

二次情報を否定しているのではない。一次情報を大事にしようよと言っている。

理想は、一次情報=現場での五感の体験から、二次情報=論理を構築し、検証し続けることだと思う。

 

つぎに。徳育が弱まった。

言い過ぎかもしれないが、日本人には徳育の使命を果たしている宗教がない。

代わりに、日本人には「和」を最優先しようとする遺伝子があり、

八百万の神の教えがあり、儒教があり、それを礎とする武士道があって、

徳育の役割を担ってきた。

しかし、〝失われた三十年〟という経済低迷、自信喪失のときを経て、

または、欧米の価値観が、たとえばSDGsという装飾をまとったりして、

〝先進〟と言われる二次情報知識人たちによって、

ことさら主張されるようになったことで、

弱まってきた。

こんなことを言っていると、ネット右翼(ネトウヨ)と呼ばれかねないが。

 

もうひと。芸育が要る。

文筆、アート、音楽、舞踊...。

右脳の解放だ。一次情報を豊かにすることだ。

仕事一筋できた人たちの、引退後の戸惑いをみていて、とくに痛感するようになった。

 

少子化を止めようと、最近よく、学校教育の無償化が政策として挙げられている。

が、無償化以上に、「学問」の革新をすべきだ。

長期で日本の未来を捉えるならば、

以上のことを踏まえた教育体系に変えていき、予算を倍増させて臨むべきと思う。