徳川家康が初めてこの江戸の地にはいったとき、

この位置に、丸太が簡単に架けられていた。

だから「一ツ橋」という地名になったそうだ。

日本橋川の「一ツ橋」に行ってきた。

 

丸太架け 家康渡る 一ツ橋

 

 

これが現在の一ツ橋。橋を覆う首都高の圧迫感がすごい。

ここは江戸城「平川門」のすぐ北にある。

「一ツ橋」と「平川門」の間には住友ビル。

もとの一ツ橋徳川家の屋敷跡だ。

徳川一ツ橋家は八代将軍〝暴れん坊将軍〟徳川吉宗のあとにつくられた家で、

尾張、紀伊、水戸の御三家に次いで、征夷大将軍を出す資格を持っていた。

徳川慶喜は御三家水戸家からここ一ツ橋家を継ぎ、そのあと徳川最後の将軍になった。

 

一ツ橋家跡地の前には毎日新聞がある。

 

「一ツ橋」を北に渡ると、明治時代以降の最初の文京の中枢の地に出る。

黒田如水の屋敷跡である「如水会館」と一ツ橋大学の跡地である「総合学術センター」。

さらに東京大学が最初に設置された地「学士会館」がある。

ここは「大学発祥の地」といわれている。

その前には、共立女子大の共立講堂がある。

ふたつとも戦前の建築だろうか。

「小学館」「集英社」といった出版社、神保町の古本屋街も隣接している。

 

日本橋川めぐりはまさに江戸・東京の中枢を行くという感じだ。