今回は「橋」シリーズ。
2024年7月2日。
神田川に架かる「和泉橋」に行ってきた。
昭和通りで、岩本町と秋葉原をむすんでいる。
昌平橋よりひとつ東の下流の橋だ。
伊勢津藩の藤堂和泉守の屋敷に向かう通りに架かる橋、
というのが名前の由来らしい。
1892年(明治25年)、鉄橋となった。
和泉橋 たぬきと衣料と 山パンと
これは南側から撮った和泉橋。昭和通りが走り、上に首都高が通っている。
これは一つ西の万世橋から撮ったもの。
橋の脇には説明板が2つ立っている。
ひとつは神田川の南側にあった「柳原土手」を説明したもの。
土手沿いには町家とともに「柳森神社」(旧柳森稲荷)があった。
もいひとつは、ここが既製服の問屋街であったことを説明したもの。
江戸時代、前出の「柳原土手」沿いに古着の「床店(露店)」が並んでいて、
明治時代になると岩本町古着市場として発展し、
現在でも、この東神田一帯は衣料問屋街になっている。
ここが前出の「柳森神社」。小さな神社なので見過ごしそうだ。
よくある「お稲荷さん」のひとつだ。
徳川綱吉の生母「桂昌院」にちなんだ福寿祠が境内に建てられて知名度が増した。
桂昌院は身分が低い出自ながら三代将軍徳川家光の側室になり五代将軍の綱吉を産んだことで、
「玉の輿」の典型例とされ、
そこから、「他を抜く」=たぬきがシンボルとなり、
祠には「たぬき」像が飾られている。
そこには巨大な玉袋をもつ大きな石像のたぬきもあり、目を引く。
この神社には「力石」も据えられている。
江戸時代は重い石を持ち上げる競技が盛んで、その際に使われた13個の「力石」が並ぶ。
和泉橋の南には岩本町の交差点がある。
写っている南東方向の東神田一帯が衣料問屋街だ。
その岩本町交差点の中心の三角地帯には「馬の水飲み広場」跡がある。
このあたりの神田川は物資の運河として機能していたわけで、
揚げられた物資は馬や人によって江戸中に行きわたってゆく。
当時はたくさんの人馬が集まっていたことだろう。
「山崎製パン」も和泉橋・岩本町のランドマークのひとつといえるだろう。
岩本町の交差点にドーンと白い本社ビルを構えている>
しかも、あたりは、同社のコンビニエンストストア「ヤマザキデイリーストア」
がいっぱい。岩本町の交差点はあたかも「ヤマザキ村」だ。
このコンビニ、大手三社と違ってパンが最前面で大きなスペースをとっている。
これがそうだ。
どれもおいしそうだ。
ほかのスーパー、コンビニでは売っていないものばかりで、
思わず手が伸びる。