今回は「橋」シリーズ。

「新見附橋」だ。

飯田橋の南。外濠の上に架かっている。

 

新見附 法政フランス 規制線

 

外濠の橋のなかでは比較的新しい。

明治時代。外濠の内側の旧麹町区と外側の旧牛込区の行き来ができるよう

外濠を埋め立て、外濠は飯田橋側の牛込濠と市ヶ谷橋側の新見附濠に分かれた。

現在は、その埋め立てた部分と、1929年(昭和4年)に架けた鋼の橋の部分で成り立っている。

最初の頃は無名の橋だったらしい。

明治時代の終わりごろ、ここに東京電気鉄道の駅が出来てそれが新見附橋と名付けられ、

以来ここが新見附橋となったようだ。

そもそも「見附」という地名は日本中にたくさんある。

大きな道の分岐点、要所を古くからそう呼んでいる。

 

新見附橋あたりの外濠沿いは「外濠公園」という土手がつづいている。

緑豊かで、桜のころはとくに美しい。

なによりも、人が少ないのが魅力だ。

外国人も少ない。

ぶらぶら散歩にはうってつけの場所だ。

 

新見附橋のランドマークというと「法政大学」だろう。

橋の脇、外濠の内側に聳えている。

この法政大学の裏には靖国神社があり、

軍艦マーチを轟かす車両たちの侵入を規制するためだろう、

法政大学のまわりは常に警察の「規制線」が張られている。

法政大学の学生さんたちは毎日その風景を眺めながら学んだということか...。

法政大学は、濠の外側、牛込台地の坂を登る途中にも何棟かある。

こちらは「規制線」とは無縁だ。

防衛省の裏手にあたるこのエリアは、江戸時代、武家屋敷町だった。

明治時代になるとこの武家屋敷跡地には富裕層が住むようになった。

「市谷砂土原町」という。

徳川家康の腹心本多佐渡守正信の別邸があったことからそう名付けられた。

いまも大きな邸が連なっている。

「佐渡原」の一角には「フランス文化センター」もある。

これだ。

ここの存在が、ワインの店やフランス料理店が多い「神楽坂」

の特徴形成の一因になっている。

神楽坂のスーパー「よしや」ではフランス産原種鶏が大きくスペースをとっている。

ことしはパリオリンピックがある。

フレンチブーム、トリコロール消費が起こるかもしれない。