2024年6月12日水曜日。晴れ。
本郷台地を降りたところにある昌平橋に行ってきた。
聖橋の東隣の橋だ。
お茶ノ水橋、聖橋では、神田川は深い濠の底を流れていたが、
昌平橋に降りるとその水面が目の前に迫る。
昌平は クルマの橋と ヒトの橋
神田川に架かる昌平橋(しょうへいばし)は外堀通り上にあり、
北の千代田区外神田と南の千代田区神田淡路町・神田須田町をつないでいる。
この橋は、中央に車の橋があり、その両側に別建てで人、歩行者の橋がある。
珍しい。
車も歩行者もとくに多い道ではないのだが...
最初に橋が架けられたのは1624年 。
1691年に徳川綱吉が、現在聖橋の脇にある湯島聖堂を建設した際、
湯島聖堂は孔子廟であり孔子生誕地である魯国の昌平郷にちなんでこの橋を「昌平橋」と命名。
ここより湯島聖堂までのぼる坂を「昌平坂」と呼び、
湯島聖堂はのちに昌平坂学問所となる。
江戸時代、橋は、木製であり、寿命は20年程度で、
ゆえにちょくちょく架け替えられていたようだ。
また、度々、水害で流され、大火事で焼失している。
この昌平橋も、何度も架け替えられてきたようだ。
現在の昌平橋は1923年(大正12年)4月に架け替えられたもので、
鉄筋コンクリート製アーチ橋になっている。
昌平橋の南の神田須田町側には、飲食の老舗が集まっている一角がある。
とりすきの「ぼたん」。
あんこう鍋の「いせ源」。
そばの「まつや」。
いずれも池波正太郎贔屓の店だ。
2024年NHK朝ドラのモデルとなった、あんみつの「竹むら」もある。
そして、昌平橋の北の外神田側といえば「秋葉原」だ。
ただし「電気街」として世界的に有名だった秋葉原も様変わりした。
象徴的なのが「ラジオ会館」。
ここは電気製品の部品店として秋葉原を代表する店だった。
現在はキャラクターグッズ、カードゲーム、各種ゲームのビルとなっている。
35年前、ビルゲイツがやってきた秋葉原最大の家電量販店だった「ラオックス」もそうだ。
現在は「アキバカルチャーズ」と名乗り、キャラクターグッズ、ゲームのビルとなっている。
それでも、JR秋葉原駅近辺には、昔ながらの部品屋さんもすこし残っている。
1970年代は、秋葉原には青果市場もあった。
わたしもバイトをしに来たことがある。
いまも。少しだけだが、青果問屋さんやダンボール屋さんが残っている。