2024年6月11日火曜日。晴れ。

ことしの梅雨入りはいつになるのだろう。

 

水道橋 行けば昭和が 蘇る

 

水道橋に行ってきた。

 

水道橋は、神田川に架かり千代田区三崎町と文京区後楽・本郷を結ぶ白山通りの橋だ。

江戸時代、近くに神田上水の懸樋があったことが名前の由来だ。

橋は江戸時代からすでにあった。

近くに吉祥寺があつたため吉祥寺橋と呼ばれていた。

吉祥寺は現在は文京区駒込に移転している。ちなみにここには二宮金次郎の墓がある。

当時の絵に、橋と神田上水道が並んで描かれている。

現在の橋は1988年(昭和63年)に架けられた橋だ。

神田上水の懸樋の碑が設置されている。これだ。

神田上水はもうすこし上流の文京区関口というところで、

神田川から取水されるかたちではじまっている。

ちなみに神田川の水源は井の頭公園である。

この神田水道は、日本初の大きな上水道網であり、

首都江戸の生命線として、

サムライ、町民たちの生活を支える水を供給していた。

つくったのは、徳川家康の家臣、大久保藤五郎。

水道橋の脇には上水道をあらわすモニュメントもつくられている。これだ。

 

水道橋付近には、神田川と日本橋川の分水地もある。

そもそも、神田川のここから隅田川に至るまでの下流は、

江戸城の外堀としてつくられた濠もしくは運河であり、

それまでは日本橋川が神田川の本流だった。

これが神田川と日本橋川が分かれている場所だ。

小石川橋という橋が架かっていて、これが日本橋川のはじまりといえる。

日本の道路のはじまり日本橋が架かっている川である。

いずれこの川も歩く。

 

水道橋にはJR水道橋駅がある。

中央線は止まらず、総武線だけが止まる駅だが、乗降客は多い。

文京区側で東京ドームシティ、千代田区で学生街に隣接しているためだ。

これが文京区側の東京ドームシテイ。

むかしは、隣接する徳川水戸家の屋敷跡「後楽園」の名前をそのまま冠していた。

これが千代田区側の学生街。

 

水道橋駅の西口は東京ドームシティに直結している。

これがそう。

橋を渡ってドームシテイにはいると、まず、JRAの場外馬券売場WINSが出てきて、

つづいて後楽園ホールが出てきて、

そして東京ドームがある。もとは後楽園球場。

後楽園ホールは、ボクシング、プロレスの聖地であり、

笑点の会場としても有名だ。

東京ドームは、プロ野球ジャイアンツの本拠地であり、

世界のスターたちがコンサートを開く場所だ。

キャンディーズのファイナルもここ後楽園球場だった。

隣の本郷の我が家には毎日のようにその音が響いている。

巨人、大鵬、玉子焼きの時代、静岡県浜松で育ったわたしにも、

この地の名前はじゅうぶんに届いていた。

むかしからの全国区の大ブランドといえる。

六十四歳のわたしだからだろうが、「後楽園」に来ると、

昭和が蘇る。

そして、その集客力はいまだに大きい。