2024年3月のはじまりは、ひさびさの「像めぐり」テーマでゆく。

11回目の「像」になる。

 

今回の像は「ヤン・ヨーステン」だ。

東京駅の八重洲地下街にある。

 

東京駅周辺は、もとはヤン・ヨーステンの家の跡であり、ゆえに「八重洲」という地名なのだ

そこへ、東京駅地下街の一番端、大手町からはいって、

おそらく世界一広いと思われる地下街を、ぐるり回って、

さいごにヤン・ヨーステン像にたどり着く。

そう歩いてみる。

この巨大地底街探検、ずっとまえからやりたかった。

今回の「たちどまるけーすけ」はこれまでで最長のレポートになる。

 

東京駅 ヤン・ヨーステン 家のあと

東京駅 1日過ごせる 地底街

 

 

まずwikipediaでヤン・ヨーステンを調べる。こうある。

 

ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステイン(1556年-1623年)は、オランダの航海士、朱印船貿易家。

日本名は耶 揚子(や ようす)。現在の東京駅周辺の八重洲の地名の由来になった人物。

「ヤン・ヨーステン」は名で、姓は「ファン・ローデンステイン」。

オランダ船リーフデ号に乗り込み、

航海長であるイングランド人ウィリアム・アダムス(三浦按針)とともに

1600年(慶長5年)4月19日、豊後に漂着した。

徳川家康に信任され、江戸城の内堀沿いに邸を貰い、日本人と結婚した。

屋敷のあった場所は現在の千代田区にあたり、現在の中央区八重洲の地名は1954年に成立した。

「ヤン=ヨーステン」が訛った日本名「耶楊子」(やようす)と呼ばれるようになり、

これがのちに「八重洲」(やえす)になったとされる。

 

本郷から歩いて45分。

大手町の端、経団連ビル前の大手町フィナンシャルシティビルの脇から地下街に降りる。

南へ進む。日比谷までほぼ一直線だ。

すぐに地下鉄千代田線の大手町の改札が出てくる。

午前10時20分。通勤ラッシュの時間帯は過ぎている。歩く人は多くない。

むかしからある靴手入れの「mister minits」がビジネス街らしさを感じさせる。

三井物産の新しい大きな本拠地「otemachi one」が右に見える。

10分で髪を整えてくれる「QBhouse」もビジネス街ならではだ。

「ローソン」ではなく「ナチュラルローソン」。ここならありだなと勝手に思う。

都営三田線の大手町駅を過ぎる。

「ドトール」。この町には必要不可欠なお店のひとつだろう。

「みずほ銀行」の本拠地。江戸城の正門大手門前の街は日本を代表する会社が集まっている。

ここから通路が狭く、やや暗くなる。むかしのまま。「通路」だけがつづく。

途中から照明と道幅と壁色がさらに落ち、完全に「昭和」になる。

千代田線の二重橋駅が出てくる。

このあたりは左手が丸の内オフィス街だ。新しくなった明治安田生命ビルがそれを報せる。

やがて照明は明るくなる。

東京商工会議所、東京会館が出てくる。そろそろ日比谷だ。

都営三田線の日比谷駅だ。

壁面の地図をみる。日比谷だ。ここらで左に曲がり銀座方面に向かおう。

地下鉄の有楽町駅だ。道行く人も増えた。

「信楽」「有楽」。

有楽町は戦国武将でありながら茶人としても有名な織田有楽斎の邸があった場所で、

だからだろう、茶器の里「信楽」を象徴するものとして陶器の狸を集めた「ぽん太の広場」が出てくる。

ビジネス一色のかたい空気の地下街がやわらかい文化のにおいに変わる。

有楽町から銀座への通路は昭和の懐かしさを残している。60代の感覚だが。

壁、床が古い、だけでなく、表示の文字が大きく太い、年輩者が来る街ということか。

東京国際フォーラムで左に曲がる。施設の地階にはいってゆく。

なつかしい。アメリカンレストラン「sizzler」だ。バブル期を思い出す。

ちょうど会社説明会をやっていた。紺ブレがいっぱい。昭和と変わりない。

東京国際フォーラム地階を出るとJR京葉線東京駅。

広い京葉線フロアから東京駅丸の内口へ。

左に「三菱一号館」、右に「KITTE」。

人混みが感じられる。東京駅の空気が漂ってくる。通路の色も変化する。

東京駅丸の内口の大きな地下空間をぬけてゆく。

広いフロアには催事も展開されている。

「動輪の広場」。

東海道線を走っていたC62機関車の車輪が展示され、

「銀の鈴」と並ぶ東京駅のシンボルになっている。

これまでとショップも変わる。

靴屋の「ABCマート」、スーパーの紀ノ国屋、だしの「茅乃舎」、

カフェの「スターバツクス」、ワインショップの「ENOTECA」...、

ターミナル駅、大きな生活動線ならではの、多様な業態が並ぶ。

東京駅丸の内口を南口・中央口・北口の順で通過していく。

寿司屋(「すし好」)で右に曲がって、八重洲側に向かう。

寿司屋はちゃちゃっとつまむ元祖ファストフード。ほんとうは駅にぴったりのはず。

東京駅の丸の内と八重洲をつなぐ地下通路は、ここだけで、狭い。

なので混む。むかしと変わらない。

八重洲側に移ったあたりに飲食店街「黒塀横丁」。以前からある。何度が利用した。

そして東京駅に沿って食品・飲食店の「東京駅一番街」が南北に走っている。

その外側。おそらく、東京駅地下街で最も人で混んでいる街が出てくる。

「東京キャラクターストリート」。

マンガ、映画、テレビ、アミューズメントパークなどのキャラクターグッズのショップがここに集まっている。

外国人もたいへん多い。

子供たちが走る。はぐれてしまったのか、子供の名を呼び探す母親もいる。

八重洲一番街をゆく。

八重洲の江戸時代と現在を比較したパネルがある。

はじめの頃は、ここが江戸の東の縁であったことがわかる。

東京駅中央改札にいちばん近い位置には、新しい業態が出ている。

「antenna america」。

自分で冷蔵庫から好きな飲み物をとってカウンタで食べ物を注文しながら、

その都度会計するシステムだ。立ち飲み屋、イギリスのパブに近い。

ここは、この日、八重洲地下街でいちばん行列が長かった店。

「玉丁本店」。味噌煮込みうどんだ。

靴屋、鞄屋、ワイシャツ屋が目立つ。日本最大のターミナル駅だからか。

ユニクロもある。

八重洲地下街に昭和の頃からずっとある店もいくつか。

喫茶店の「アロマ」。

トースト、ゆで卵、コーヒーのモーニング。

東京に出てきた1970年代後半。

懐かしい限り。

ここも古い。「長谷川酒店」。

大きなターミナル駅ならではのサービス業も。

おまけに。

八重洲地下街の中央通りに接する一番端っこには、

大きな喫煙ゾーンがある。

わたしも1日3箱吸っていた。

 

今回の終着点「ヤン・ヨーステン」像だ。

八重洲地下街の一番街の中ほどの壁にはめられていて、うっかり見逃してしまう。

見つけると、首だけのせいか、ぎょっと不気味に思う。

自分が、はるか東方の「ジパング」の首都の中心地でその名をのこすとは

まったく思っていなかったろう。

 

「たちどまるけーすけ」をはじめてから最長になるレポートもここで終わり。

 

今回、東京駅地下街を歩いた時間は2時間。

ビジネス、レジャ、トラベル、ショッピング、グルメ...ここには実にさまざまな「顔」があった。

枝分かれする無数の通路・ビル地階フロアも足せば、

東京駅地下は1日中いられる世界最大の大地底世界だろう。

家から歩いて40~50分で、こんなワンダーランドが味わえるとは。

これからはもっと来よう、深めよう。

探検ははじまったばかりだ。