「江戸城めぐり」4回目。

2024年2月15日。晴れ。きょうは春一番が吹きそうだ。

「巽櫓」(たつみやぐら」と「桔梗門」に行ってきた。

 

名残留め 太田道灌 桔梗濠

 

まずは「巽櫓」(たつみやぐら)。

「巽」(たつみ)とは、巽=辰巳のことで江戸城本丸から見て辰巳の方向という意味。

「櫓」(やぐら)とは、弓矢や鉄砲を納め、発射するための防衛用の建物という意味。

江戸城には櫓は19あったらしいが、巽櫓はそのうちの一つ。

「大手門」のすぐ南側で、大手町・東京駅方面に面した目立つ位置にあり、

その前には外国人観光客がたくさん立ち寄り、写真を撮っている。

前の濠は「桔梗濠」と呼ばれている。

濠の水面がすぐそこにあり、

大きな江戸城のなかでもこのあたりはいちばん低地にあることがわかる。

 

「巽櫓」から「桔梗濠」沿いに進むと「桔梗門」がある。

江戸時代、大名の登城はこの「桔梗門」と「大手門」と定められていて、

現在も、皇族と会える一般参観の入城門になっている。

この門は、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺された外桜田門に対しての「内桜田門」とも呼ばれている。

 

徳川家康が建てた江戸城は太田道灌が建てた江戸平河城を土台としてつくられている。

太田道灌の家紋が「桔梗」。

太田道灌の頃はこの位置まで海がきており日比谷入江と呼ばれていて、

このあたりを海に面した船を泊める前面の濠としていた。

徳川家康は、これより北の本郷台地の南端にあった「神田山」を削り、

このあたりを埋め立て、大手町、丸の内、日比谷、銀座、日本橋、神田ができていった。

その名残として「桔梗濠」「桔梗門」がある。
「桔梗門」の瓦には今も太田道灌の桔梗紋が刻まれている。

江戸城は太田道灌あっての名城なのだ。

徳川家康もきちんとその名残をここに留めおいたのだ。