「像めぐり」をはじめる。

今回はその初回。

2024年1月31日。

どれからいくか。

60代のわたしの「像」との最初の出会いは「二宮金次郎」だった。

静岡県浜松市の通っていた小学校の庭にあった。

ネットによると、日本でもっとも多い像も「二宮金次郎」だった。

1000体以上ということだ。

ならばはじめは「二宮金次郎」だ。

 

歩き〇 むかし尊徳 いまスマホ

 

二宮尊徳。二宮金次郎と署名したものが多いためか、

「金次郎」のほうが馴染みがある。

ウィキペディアをみると

「経世済民を目指して報徳思想を唱え農村復興政策を指導した」

とある。

江戸時代の人だ。

多くの人は、その「像」から、

「歩きながらも書物を読む勤勉者の鑑」

との印象が強いだろう。

 

二宮尊徳の生まれは小田原。金次郎を祀った「二宮神社」がある。

二宮金次郎というと、東京駅八重洲口にあった

かつての日本一の書店「八重洲ブックセンター」を思い起こす人も多いだろう。

入口脇に、読書の象徴として二宮金次郎像を設置していた。

いまその像は〝故郷〟の小田原にあるという。

 

わが家の本郷の近くも二宮尊徳ゆかりの地がある。

駒込の吉祥寺だ。

そこに二宮尊徳のお墓がある。

榎元武明などの有名人たちもねむるお寺だが、

二宮尊徳のお墓はそのなかでもひときわ目立つ。

これだ。

このお墓の脇に植え込みの陰に隠れるように、

二宮金次郎像も、例の歩き読書の姿で据えられている。

これだ。

小さい石像のせいか、目立たないのだが、

「像めぐり」の第一回はこの像にする。

鉛筆スケッチも、下手なうえに、ひどく地味な出来になってしまった。

五七五も、スケッチも、巧くなくても思いが伝われば、それでいいのだ。

と、勝手に思い、これからも描き続けていくぞ。

 

10年ぐらいまえから「歩きスマホ」が問題になっている。

しかし、いまや生活習慣の域にまで、ひろがってしまっている。

最近は、「歩き食い」も常態化しつつある。

二宮金次郎の「歩き読書」は、

元祖「歩き〇」なのかもしれない。