隠退した。

仕事の仕方を。お客さま接点の事実から組み立て直す。

そんな仕事から。

 

世の中を一変させたスティーブ・ジョブスが言っている。

自分が何をしてきたか、何者だっか、しっかり振り返ったうえで、

そんなものはすべて捨ててしまえばいい。

 

そんなもの すべて捨ててし まえばいい

退いて 本郷浜松 めぐる跡

 

今回は、自分が何者だったかしっかり振り返る旅になる。

2023年11月26日・27日。二日間かけて。

 

わたしは浜松で生まれた。1960年3月に。

ルーツはその浜松のなかの「二俣」という場所。

以前。父親が調べた結果だ。

 

本田宗一郎もそこの出身だ。

「ホンダ」の本社は現在東京の青山一丁目にある。

4日前に行ってきた。神宮外苑のイチョウ並木を見に行ったついでに。

本社ビルの最前面に展示されているのは「ダックス」。

わたしのような齢の者には、

10代のころの記憶をよみがえらせる働きをする...。

 

振り返りの旅をはじめる。

それは、「浜松人」にとっての「英雄」本田宗一郎の人生とも、

一部で重なっている。

 

2023年11月26日午前11時。浜松駅に着いた。

 

浜松駅南口正面にあるビルには「浜松ホトニクス」がはいっている。

世界で初めてテレビを開発した「浜松人」高柳健次郎の弟子の堀内平八郎がつくった会社で、

本田宗一郎同様、研究開発、技術開発にこだわり続ける集団だ。

小柴昌俊に協力し物質を構成する最小の粒子を素粒子を世界で初めて観測した、

「カミオカンデ」をつくった会社だ。

小柴さんはこの技術でノーベル物理学賞をとっている。

このあとも、この会社は東京大学と組んで、

梶田さんなどのノーベル物理学受賞者を生み出し続けている。

この世界を驚かせ続けている技術の礎をつくった高柳健次郎もまた

「浜松人」にとっての「英雄」のひとりなのだ。

ここは静岡大学工学部の高柳健次郎を記念して建てられた施設。

彼はここで教授をしていた。

わたしが生まれたのも、この静岡大学工学部の前の

西上池川(城北二丁目)というまちだ。

このあと、高柳健次郎が世界で初めてテレビに映し出した、

「イ」が裏返った文字を刻んだ記念碑を見に、

近くのNHKの施設がある「牛山」という場所に行った。

小学生のころよく遊んだ地だ。

しかし、ちょうど建て直しの最中で、見ることができなかった。

残念!

 

2023年11月27日。快晴。

遠州鉄道に乗って西鹿島まで行き、そこで天竜浜名湖線に乗り換え、

二俣本町という駅で降りた。

天竜川を北にさかのぼって、

南アルプス山脈へとつづく山地にはいる手前という位置だ。

わたしのルーツがいた場所に立ったことになる。

ここには二俣城という城がある。

戦国時代、今川義元、武田信玄、徳川家康のあいだで奪い合った地で、

家康の長男の元康もこの地で、敵に通じたとされ、織田信長の命で切腹させられている。

ちなみにその母、家康の妻の築山殿も、同じころ、浜松の佐鳴湖の畔で処刑された。

大河ドラマ「どうする家康」でもエピソードになっている。

これが、その二俣城。

わたしの祖先は、

今川、武田、徳川のどの関係者だったのかは不明なのだが、

この地で討ち果たされた。

一族は、同じ静岡県西部の浜岡という地に移り住んだ。

わたしの両親は、その浜岡の生まれで、結婚し、浜松に居を構えた。

わたしは、高校まで浜松にいて、東京に出た。

受験で上京し、東京で初めて泊まった宿が東京都文京区本郷だった。

 

本田宗一郎もここ二俣で生まれ育った。

いま「本田ものづくり記念館」になっている。この城のすぐ近くだ。

宗一郎の家は自転車店を営んでいたらしい。

このまちは、典型的な田舎町だが、それなりに栄えていたらしく、

旅館も多い。営業中かどうかわからないがレトロな建物が目立つ。

いまも、さびれてしまったわけではなく、

若い人向けの飲食店・衣服店もいくつか見られ、

それなりの活気を維持している。

本田宗一郎は、自転車店の家に育ったためか、モノ、機械にたいへん関心が高く、

ある案内をみて、東京行きを決める。

それは、東京で自動二輪をつくっていた「アート商会」への就職だ。

場所は本郷。

そう。いま、わたしが住んでいる東京都文京区本郷だ。

ここだ。

順天堂大学の裏手で、本郷通りに面している。

 

本田宗一郎は、やがて浜松に戻り「アート商会浜松支店」を開業する。

ここだ。浜松市の元浜という場所で、

現在も、オートバイショップになっている。

近くには「ヤマハ」の本社もある。

日本で初めて労働者によるストライキが起こったことでも知られている。

本田宗一郎は、浜松の地で、事業を拡大させていき、

藤沢武夫という経営パートナーを得て、

「世界のホンダ」へと成長していく。

 

浜松というところ、浜松人というひと、はいいかげん...。

たとえば、江戸時代に江戸の街で大泥棒となった鼠小僧治郎吉、

清水次郎長一家でいちばん喧嘩っ早いことで有名な森の石松、

に代表されるように、泥棒や、博打うち、ヤクザ者が多く出ている。

わたしの父親も、賭マージャン、オートレース、競艇の日々だった。

松下幸之助も、浜松には工場を作ってはならない、と言ったとか。

なのに...

世界企業の、

トヨタの創業者の豊田佐吉、

ホンダの創業者の本田宗一郎、

スズキの創業者の鈴木道雄、

ヤマハの創業者の山葉寅楠、

そして、

世界で初めてテレビを開発し、

ノーベル賞受賞者量産の先駆けとなった高柳健次郎、

みんなこの地に生まれ育っている。

 

誰か、この「謎」を解いてほしい。

 

わたしは、

お客さま接点の事実から組み立て直す。

という仕事をしてきた。

たくさんの会社の方々にたいへんお世話になった。

感謝しても感謝してもしきれない。

身の以上の生き方ができた。

 

わたしの「ふりかえり」の旅は終わった。

きょうからはふりかえらずに、

ボケないこと、を念頭に、終活をめいっぱい楽しもう。