2023年10月31日火曜日。
ハロウィンの日だそうだ。
動坂の遺跡に行ってきた。
動坂とは、
千駄木と本駒込り境で白山から本郷台地を下って不忍通りに至るまでの坂だ。
道沿いには都立駒込病院がある。
この駒込病院を建てるとき、ここから、貝塚と、住居跡が上下二層見つかった。
貝塚と下層の住居跡は縄文時代のもので、
上層は江戸時代の鷹匠施設のものだった。
なので、この一帯は、動坂遺跡、鷹狩りの地、ともいわれている。
下町は すべて水域 動坂にて
動坂には、こんな旗が掲げられている。
「一富士 二鷹 三なすび 発祥の地」だ。
一般的には、初夢でみると縁起がいいとされているものだが、
ここ動坂は、本郷台地の上からだと富士山が見え、
鷹狩の地であり、
台地の上には青果の集積場「駒込土もの市場」があり、
なので、「一富士 二鷹 三なすび 発祥の地」というわけだ。
これが動坂遺跡。
都立駒込病院の一角にその記念碑がある。
縄文時代におよそ50軒の集落があったようだ。
貝塚があったということは、
この動坂の下、つまり本郷台地の縁から下は水域だったということになる。
徳川家康が本郷台地の南端の神田山を削って、
湿地だったいまの日比谷や東京駅周辺の地を埋め立て始めたのが、
江戸・東京下町のはじまりだが、
それまでは、
この動坂遺跡と、この南にある弥生時代のもととなった弥生遺跡をみればわかるように、
本郷台地の東南側は海・川・湿地の水域だったのだ。
確実に起こるとされている、巨大な南海トラフ地震、首都圏直下型地震で、
最悪の場合は、この元「水域」だった東京の下町全域が、
軟弱な地盤を襲う大揺れと、大津波で、壊滅する可能性を示唆している。
縄文・弥生のころの人々は、本郷台地の上に住んでいたことを、
アタマに入れておこう。

