ひさびさの、気温30度以下、じめじめしていない、さわやかな晴れの日となった。

両親の墓参りに行った。

先日の新宿牛込の墓参りはわたし方の両親、きょうの麻布の墓参りはかみさん方の両親だ。

ついでに、散歩日和だ、この麻布台をかんたんに一周することにした。

麻布の台地と低地を上がったり下がったりになる。

なので「坂の上の雲」シリーズのレポートでもある。

 

「ミーハー」という言葉がある。軽薄とか、世の中の風潮に流されることを意味する。

こんなことを言うと関係者にすごく怒られそうだが、あくまでわたし個人の感覚だが、

麻布は、元祖「ミーハー」の地ではないかと思う。

そもそも日本は、外国人の刺激を受け、変化してきた島国だ。

よくとらえれば「ミーハー」の地とは変化の先端の地域ともいえる。

ここ麻布は、江戸時代まで、寺社がいくつかあるが、基本的には農村、森林の地であり、

狸・狐が農民と、時には化かしあいながら、「にっぽん昔話」よろしく、

平和に暮らしてきた土地だった...はずだ。

ところが、幕末に米国のハリス公使を麻布の中心にある善福寺に迎えて以来、

ここは、徐々に外国との縁が深くなっゆく。

いまでは、ここ麻布は、駐日大使館がたくさんある。

東京各所にたくさんいる訪日観光客、ではなく、滞在している外国人がたくさん歩いている。

なので、この麻布の山は、警察官たちが、各所に立っている。右翼の街宣車が入ってこれないようにしている。

そして、この地のマンションには、世の中の風潮に乗って成功した日本の芸能人、起業家がたくさん住む。

六本木が近い。

などなどから、元祖「ミーハー」の地なのだ。

 

外国が いっぱい集まる 麻布山

大使館 狸狐を 追い出して

 

麻布十番商店街の象徴ともいえる「豆源」の前を出発点とした。

1865年に源兵衛さんが創業し「豆やの源兵衛」と呼ばれるようになり、現在の商号「豆源」となったようだ。

この豆源の前には、かつて「麻布十番温泉」があり、豆源と並ぶ麻布の名所だった。

 

豆源から西に進み、「暗闇坂」にて左折する。

昼間でも暗いほど樹木が生い茂っていた坂道で、化け物が出ると噂され、実際に追い剥ぎが出没したそうだ。

江戸時代の麻布がどういうところであったかうかがわれる。

この坂の途中に「駐日オーストラリア大使館」がある。

 

暗闇坂を降りたところで右折すると「狸坂」がある。

狸が人を化かした逸話が残っているのが由来で、昭和35年頃まで実際に狸がいたそうだ。

細い道だ、この麻布台の特徴の一つだが、やたらと外車が多く、狭くで起伏が激しいこの街を、

歩く人すれすれに走り抜けていく。

狸坂は「狐坂」につながる。

観光客ではないと思われる外国人が歩いてくる。愛想がよい。日本人との接し方に慣れている。

ここも、かつては、もちろんさびしいところで、狐が時々人を化かしていたという。

 

国旗を掲げた建物にちょくちょく出会う。

みんな駐日大使館だ。

ここは、ちなみに、ここは「駐日リトアニア大使館」だ。

こじんまりしていて、なにかホッとする。

 

狐坂の裏手に駐日中国大使館がある。

大きい。長い白壁には中国の名所の絵が描かれている。

塀は高く、門は金属製で頑丈そうで閉まっている。現在の日中関係をあらわしているかのようだ。

この駐日中国大使館のまわりはひときわ警察官の姿が目立つ。

 

駐日中国大使館を過ぎて、まわりこむと、有栖川宮記念公園の脇に出る。

江戸時代は南部藩の屋敷だったところだ。

なので、そこから西方の広尾まで降りる坂を「南部坂」という。

逆に東方の芝方面に降りる坂を「仙台坂」という。文字通り仙台藩の屋敷があったからだ。

その仙台坂を降りる途中には「駐日韓国大使館」がある。この建物も大きい。

この仙台坂の途中にも駐日大使館がたくさんある。たとえば、これは「駐日アルゼンチン大使館」だ。

 

東京は、その地域地域で顔が違う。

麻布台の顔は、一言で言えば「外国」だ。

番町、赤坂にも大使館は多いが、この麻布台ほどはっきりしていない。

東京の、地域、坂をめぐり、たちどまる、感じ取る...。実に面白い。