秋の彼岸。墓参りに行く。新宿牛込だ。両親が眠っている。

2023年9月22日金曜日。ここ2~3日、天候は不安定、きょうもそう。

行くかどうか...。天気予報をみた。

雨が降ったり止んだりでしょう。おおかたはそう報じている。

が、テレビ局・番組、サイト、によってその内容がすこしづつ違う。

というか、1時間経つごとに、予報内容が変化している。

降ると言ったり、止んでいると言ったり。ズルい。予報になっていない。

 

最近、天気予報が当たらないと思う。

「きょうは雨が降りそう」。そんな大雑把な予報は当たっている。

しかし、近年一般化している「どこで、何時ごろから降りそう」はことごとく外れていると思う。

また、サイト、テレビ局によっても、伝え方が違う。

それだけ、いつ、どこで、何時ごろというレベルの具体的な天気予報は困難になっているということだろう。

 

墓参り 天気予報で 躊躇し 

 

ただ、気象の伝え方で、疑問もある。

多くのテレビ局の天気予報は、何時の番組をみても、「平年と比べ」をことさら強調している。

補足データとして平均比と比較するのはよいが、

われわれ一般大衆の感覚には「平年」はない。あるのは近日の体感だ。

実際に、「平年」とは平均データであり、実在しない幻のデータともいえる。

「ここ2~3日と比べると涼しく感じるでしょう」ときちんと言ってから、

補足として「気温は平年と比べるとまだ高い」と伝えるほうがいい。

つまり、一般大衆の感覚に向かって伝わることを本分として、データ分析は補足として扱ってほしい。

 

そもそも。気象予報士の使命って何だろう。

AI型の検索サイト「Microsoft Bing」に「気象予報士の使命」と入れて、一番最初に出てきた「回答」はこれだ。

「気象予報士の使命は、災害による被害を最小限にするために、正確で・迅速で・役に立つ情報を届けること」

やっぱり、気象予報士は、データ分析結果ではなく、一般大衆にとって役立つことを伝えるべきなのだ。

わたしも、分析データを多用する仕事をしてきた。

ただし、まず目的(使命)があり、その使命に沿って、集め、分析したデータを、手段として活用した。

だから、最近の気象予報士たちのことばを聞いていると違和感を感じる。

分析データを伝えることが目的になっていて、大衆にとって役に立つは二の次になっている感じがする。

使命が、「被害を最小限にするために、正確で・迅速で・役に立つ情報を届けること」であるならば、

なぜ暑いのか雨なのかの分析よりも、どう暮らせば暑さを雨をしのげるのかを優先して伝えてほしい。

 

理屈話が長くなってしまった。

 

たくさんのテレビ局、サイトから、予報精度が高いと定評のあるあるサイトの天気予報に絞って、

墓参りに出かけることにした。

そのサイトは、午前中の各時間は曇りマークをつけ、

その気象レーダー予測をみても、お昼までは雨が降りそうもなかった。

 

神楽坂まで来た。

時折、ポツポツときた。傘をささなくても耐えられる程度だ。

お墓に到着。

お墓からは防衛省のアンテナ棟が見える。

 

空は、家を出てからずっと同じで、時折、ポツポツの状況だった。

多くの天気予報は、きょうの墓参りを躊躇させるものだったが、

このサイトだけは、正確で、迅速で、きょうのわたしの暮らしの役に立った。