駒込に行った。

江戸三大市場の駒込土物市場、

昌平坂学問所(湯島聖堂)と並ぶ二大学び舎の吉祥寺、

珍しくも古墳上に建つ富士神社、

柳沢吉保別邸の六義園、

の4つ見ようと。

 

駒込の土地名の由来は、

日本武尊が東征のときこの地で味方軍勢をみて勇気を得たからとか、

この地は馬の放牧地だったとか、

諸説あるようだ。

 

土物は 駒込、魚 は神田

古墳上 富士に見とれて 神社建つ

馬群みて 日本武尊も 勇気湧く

 

本郷通りを北に向かった。

8月30日というのに、なぜ、こんなに暑い。

エルニーニョ? 偏西風蛇行?

それって何年かおきにあるわけで、

やっぱ最大の問題は温暖化でしょ。

でも、毎日、歩く。歩くは血流のポンプ代わり。

脊柱管狭窄症と動脈硬化というとくに下半身の血流に問題をもつわたしは、

歩く、歩く、暑くても水分と塩分と糖分を補いながら、歩く。

 

まず「駒込土物市場」が出てくる。

江戸時代は、ここ駒込と、千住と、神田が、三大青果市場だったようだ。

素人の勝手の解釈だが、千住と神田は、水路上にあるため、魚市場もあり、

また、市街地にあったので消費地市場として機能していたのではないだろうか、

たいして、この台地上の駒込は、生産地市場として、

野菜(土物)を豊富に取り扱っていたのではないだろうか。

 

さらに歩く。「吉祥寺」が出てくる。大きい寺だ。

あのJR中央線の吉祥寺と同じ字、読みだ。

曹洞宗の寺だが、「旋檀林(せんだんりん)」という学校を併設していて、

1000名以上の僧が学んでいたそうだ。

もとは、駿河台にあって、明暦の大火で焼けて、こちらに移ったらしい。

その駿河台の「昌平坂学問所」(現・湯島聖堂)と並び称される学び舎だったとか。

 

本郷通りを歩きつづける。

「富士神社」が出てくる。

小高い丘の上に本堂がある。

その階段をのぼる。

写真ではわからないだろうが、すごく急な階段だ。手すりに頼らざるおえない。

前方後円墳という古墳の上に建っているのだ。

わたし個人としては珍しいと思う。

が、ネットで神社通の方々のコメントをみると、珍しくないそうだ。

すこし残念なのは、境内があまりきれいではない点だ。

平坦な神社ではないので掃除がいきとどくにくいのかもしれない。

富士神社の周辺は「富士」という名前のついた交差点や建物が目立つ。

前にも触れたが、日本人とくに江戸人は、富士山が見えると、うれしくなってしまい、

その地に、どんどん名前をつけていくのだろう。

 

ひきつづき本郷通りを北上し、不忍通りとの交差点を越えると、

正面に、JR駒込駅あたりが見えてくる。

そこに、左折すると六義園の木版案内がある。

長いレンガ壁がつづいているが、すぐに「六義園」正門が出てくる。

「六義園」は広い。

五代将軍徳川綱吉を支えた柳沢吉保の別邸だ。

吉保は綱吉の寵愛によって、側用人なのに老中以上の権力を持ち、

大名にまでのぼりつめている。

江戸郊外の地とはいえ、この広大な屋敷をみれば、その栄華ぶりがうかがえる。

 

駒込は、同じ文京区でも、本郷・湯島などと比べたら地味な土地かもしれない。

でも、その江戸郊外という場所ならではの、物語を、たくさんもっている。