谷中の霊園に行ってきた。
近いけど、ひさしぶりだ。
ストレスを 脱け出すところ 谷中墓地
外圧に 負けそうだったら 墓参り
もう一度 谷中の寺内 貫太郎
言問通りを下がって、根津の交差点を越えて、上野台地を上がって、
昭和レトロ感いっぱいのカヤバ珈琲店と明治時代に開業した吉田屋酒店の角を左へ曲がる。
ちょっと歩くと「愛玉子」と書いて「オーギョーチー」と読む、
これもずっとむかしからやっている、いまは閉店中?、の寒天デザートの店を通り、
やがて、谷中霊園に入る。
このあたり、以前は、よく来た。なつかしい。
霊園脇には、石材店(関沢石材店)と、花屋(花重)と、木桶・竹箒屋が並ぶ。
木桶・竹箒屋の前には、
池波正太郎の鬼平犯科帳で架空の岡場所として描いた「いろは茶屋」の場所がある。
岡場所とは遊女と過ごす料理屋だ。
江戸時代は、吉原遊郭のような幕府公認の大きな風俗街があったが、
ほかにも、門前、墓所にも、というか、だからなのか、非公認の風俗スポットがあったのだ。
江戸の男どもは性欲が強かったということか。
墓地にはいった。
暑いが、静かで、樹木が豊富で、落ち着く。
きもちがゆったりとしてくる。
ストレス状況から脱するには、大きな墓地はぴったりだ。
これからは、ときどき来たいものだ。
まず向かったのは、徳川慶喜の墓。
谷中に墓地がある徳川将軍は徳川幕藩体制を終わらせたこの徳川慶喜だけだ。
だからか。下々の人々と同じ場所に墓をつくられたのは。
徳川慶喜の墓の近くには、1万円札の顔、渋沢栄一の墓もある。
広い敷地にひときわ大きな墓石が3つ、その間間にも小さい墓。
墓の前はベンチもある休憩場所にもなっている。
きょう、谷中墓地では、徳川慶喜、渋沢栄一、
そしていまのNHK朝ドラ「らんまん」のモデル、植物学者・牧野富太郎、
の3人のお墓を巡るつもりで来た。
なので、つぎは牧野富太郎だ。
谷中には、著名人のお墓がたくさんある。
牧野富太郎のお墓に向かう途中で見つけたいくつかのお墓を挙げてみよう。
まずは、「オッペケペー節」。
川上音二郎という演劇興行師が、歌舞伎に代わる新しい新派演劇を流行らせ、その劇中で歌われた。
その音二郎の立派なお墓がある。これだ。
それから、昭和の名優・長谷川一夫のお墓もある。
そして、この立派なお墓は、東京大学医学部で解剖所見された人々のお骨を納めた地だ。
牧野富太郎のお墓に着いた。広い谷中墓地だが、日暮里に近い北側に位置する。
朝ドラで話題のわりには、花は無く、焚かれたあとの線香が数本あっただけだ。
これからか。ひとびとが集まってくるのは...。
ちなみに、写真の左隣のすこし小さなお墓は、富太郎の奥さんの墓だ。
忘れていた。
谷中の一部だが、霊園の西隣にある全生庵という寺に、
勝海舟とともに、徳川幕藩体制の幕引き役を担い、江戸を救った英雄・山岡鉄舟の墓がある。
ここにもたちどまった。
山岡鉄舟は、剣の達人にして文筆に秀でた文武両道の人で、
銀座四丁目の木村家のあんぱんが大好きで、そのあんぱんを天皇に土産として持参した人だ。
現在の銀座の木村家の看板も鉄舟の筆によるものだ。
谷中墓地のまわりは、古いお店がたくさんある。
これは酒屋。
これは雑貨屋。
これは煎餅屋。
明治・大正・昭和の店たちだ。
ただ、下町と違って、上野台地の上の商売屋は、落ち着きがある。
谷中というとテレビドラマ「寺内貫太郎一家」を思い出す。
向田邦子の名作だ。
いま63歳のわたしもまだ中学生だった。
谷中の石屋「石貫」の一家が舞台だ。
毎回かならず、
樹木希林が沢田研二のポスターに向かって「ジュリー」と叫び、
小林亞聖(貫太郎)と西城秀樹がとっくみあいの親子喧嘩をし、
いつも必ず奥の席に藤竜也がいて、女将の篠ひろ子と「無言の会話」を交わし、
左とん平がくだをまく小料理屋のシーン、
がある、すごくすごく面白い番組だった。
「VIVANT」もいいけど、
「昭和」が見直されているいま、「寺内貫太郎一家」の令和版をつくってください。
TBSさん!!















